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  命の終わり、死の意味

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Name: みやど
Date: 2011/10/18(火) 14:38   No:23768
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Title: 命の終わり、死の意味    
52歳、女性です。
私は 先日、病院でガンの可能性を指摘されました。
後日 詳しい検査をします。
毎日のように、死について考えています。
人はいずれ 誰でも死ぬんだし、逃れられないのだから、それが 少し早いか遅いかの違いだけで、仕方がない、怖がることないと自分に言い聞かせたり、また とてつもなく怖くなって落ち込んだり。
心の持ちように 苦しんでいます。
心穏やかに毎日を送るには どうしたらいいですか。
助けてください…



Name:
Date: 2011/10/18(火) 18:41   No:23769
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Title: Re:命の終わり、死の意味    
みやど様、初めまして心と申します。
ご相談があまりにも重い内容なので、どのようなメッセージを送れば良いのか未だに戸惑っております。
仰るように、命あるもの、形あるものはいつかは壊れ、この世界から消えてゆきます。
それがこの世界の真理であるとお釈迦様も仰っておりますが、私のような凡人にとってはスッパリと割り切れるものでもありません。
不安、恐怖、焦り、怒り・・・
様々な負の感情が去来して心が乱れます。
その心が乱れる事、そのものがまた苦しみを倍増させるものと思っておりますので、みやど様の「心穏やかに・・・」のお言葉にとても心を打たれました。

あくまでも私の個人的な考えなのですが。
このような重い課題に対して、見知らぬ私どもの言葉が救いになるとは思えません。
ただ言える事は、書店に行って色んな本を見て下さい。
その中にはきっとみやど様が求めておられる「言葉」がありますよ。
そしてあなた様の今の心境を素直に打ち明ける家族、身内、親友に「弱音」を吐く勇気を持って頂きたいのです。

人は孤独の中に生まれ、孤独の中に去って逝くと言いますが、反面人は一人では生きてはいけない弱い生き物でもあります。
「独り」「と「一人」の違い、お解かりになりますでしょうか?

そして忘れてはならないのが「無常」と言う事。
この世界の全ては移り変わります。
決して今の状態がずっと続くわけではありません。
環境も変化すれば、人の心も変化するものです。
少しでも良い方向に変化するように、自分の努力が可能な部分では努力する事はとても大切です。
民間療法や漢方薬など、現代では多種多様な治療法がネットに溢れております。
また医学も日々進歩していると言われていますよね。
「覚悟」を決めるのと「諦める」と言うのは全く違います。
覚悟を決めた上で、今あなた様に出来る事も必ずあるはず。
諦めないで闘って頂きたいと思います。
陰ながらですが、ご回復を心から祈らせて頂きます。


Name: 水波坊
Date: 2011/10/18(火) 19:13   No:23771
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Title: Re:命の終わり、死の意味    
ネットでお伝えできる事には限界があろうかと思います。
お近くで、力になってくれる方がいれば良いのですが。

心穏やかに…は、やはり、見えない心のことですから、
やはり「見えない力」と感応するところでしか、本当の安穏はないのでは…と。
「見えない力」といっても、変なオカルトではなく、
私たち仏教徒にとっては、それは「仏」の御力のことです。
色々なカタチはあろうかと思います。
念仏を至心に唱えて阿弥陀仏の御姿に見える場合もあります。
題目でも良いでしょう。御宝号でも良いでしょう。
もっとも親しみのある方法で良いと思います。

また、本を読まれるようでしたら、釈尊の言葉を噛みしめてみるのも良いと思います。
以下のものがお薦めです。

阿含経典による仏教の根本聖典http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4804300139/mixi02-22/
法句経
http://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=1586793


Name: 犀の角 [URL]
Date: 2011/10/18(火) 20:05   No:23772
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Title: Re:命の終わり、死の意味    
投稿者削除

Name: あき
Date: 2011/10/18(火) 20:19   No:23773
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Title: Re:命の終わり、死の意味    
病気についてはわかりませんが、私は病気でもないのに死を考えています。生きたくても病気になってしまって考えて毎日が苦しい人もいるんですね、でも私も病気のほうがみんなから恨まれないんではとふざけた考えをしてしまっています。

Name: みやど
Date: 2011/10/18(火) 22:02   No:23774
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Title: Re:命の終わり、死の意味    
この数週間、
答えと安らぎを求めてあちこちを さ迷い歩きました。
そして ここにたどり着きました。

みなさん、
誰とも分からない私のために親身になっていただいて、感謝です。
みなさんの一言一言が有りがたく、身に染みます。
病気のことも、死のことも、受け止められるようになるのかな。
必死にあがいている私です。


Name: みやど
Date: 2011/10/18(火) 23:11   No:23775
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Title: Re:命の終わり、死の意味    
心さま
ありがとうございます。

年老いた両親や子供たち、パートナーに、まだこのことは言えてません。悲しませると思うと
つらくて言い出せません…

今の私に病気に対して出来ることは何でもやってみます、
まだまだ思い残すことも、やりたいこともいっぱいですから。
でも、その時が来たら、死を受け入れなくちゃいけない。
受け入れる?私にできるのか


Name: 猿田坊
Date: 2011/10/18(火) 23:41   No:23776
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Title: Re:命の終わり、死の意味    
こんばんは。誤診も結構あると聞きます。お金はかかりますが、病院は三つぐらい行ってみて、検査結果を比較するのがよいと思いますよ。
整形外科の領域の怪我で病院を四ヶ所ほど行ったことがありますが、医者の指導はみな異なっていました。怪我の状態の見方が医者により違うのです。医者は選んだほうがいいとつくづく思いますね。

さて、一年前の貴方は今どこにいるでしょうか? 先日の貴方は今どこにいるでしょう。一分前の貴方は?
楽しくてしょうがないときの自分。人生で一番幸せと思えたときの自分。これらは一体どこへ行ったのでしょう?

過去と全く同じ状態の貴方は、今どこにもいませんね。細胞も常に生まれ変わってますし、心の状態も常に変化しています。自分が自分と言うとき、変化している「自分」のように思える存在(心、物質含む)を、変化していない固定した「自分」とみなすことで成り立っているのです。
そう、我々は、一刻一刻死んで生じてを繰り返しているのです。死は「状態」の変化に過ぎません。

肉体は物質ですから、変化の先である「帰る場所」は大自然ですね。心はどこへ行くのでしょう? 死んだならば物質的な財産は一切持っていけませんが、心の財産・徳は持っていくことになります。その財産次第で、行くところがかわるわけです(天界、人間界、畜生界など六道輪廻が仏教では教えられています)。

我々は「変化」を怖れますから、この肉体を離れるという大きな変化が怖いことは当たり前だと思います。しかし、例えば仏教を信仰していれば、心の財産があれば悪いところに生まれないという自信が芽生えますから、安心して死に向かうことができるわけです。

死は終わりではなく始まり。生まれるということは、始まりではなく一歩一歩死に向かっているわけですから、言ってしまえば終わりなわけです。その過程においてどれだけ心の財産を築けるか。しいては輪廻という長旅を終えられるか。

仏教徒である自分はこのような教えのもと、事故などでいつ終わるかもしれない命と向かい合って生きているつもりでおります。わずかでもご参考になれば幸いです。


Name: みやど
Date: 2011/10/18(火) 23:52   No:23778
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Title: Re:命の終わり、死の意味    
水波坊さま
ありがとうございます。

人間って 勝手なものですね。
私は 宗教とは無縁の生活をしていましたが、
いざこういうことになると、頼るものが欲しいと。
きのうも、心を落ち着けようと さるお寺さんのお庭にお邪魔してきました。

ご本ありがとうございます。
いろいろ教えてください。
私なりに、方法を探していきます。


Name: みやど
Date: 2011/10/19(水) 08:43   No:23779
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Title: Re:命の終わり、死の意味    
今日は なんかとても落ち込んでいます。
ごめんなさい、
犀の角さま
あきさま
猿田坊さま
またゆっくり書きますね。


Name: みやど
Date: 2011/10/20(木) 21:56   No:23784
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Title: Re:命の終わり、死の意味    
犀の角さま
ありがとうございます。

死の恐怖から逃れるために、自ら包丁で死ぬというのは、矛盾しているようですが、私もそんな感情に捕われることがあるのでよくわかります。
でも 仰るように、死から逃げてばかりいては、いけないんですよね。
結局、目をそらしても、何か お酒や仕事や遊びで気をまぎらわせても 何も解決しない。
酔いから醒めたら、仕事が済んだら、遊びが終わったら、また死に向き合わなくてはいけない。
現実に、死は誰にとっても必定。
なら、向かい合う以外にない。


Name: みやど
Date: 2011/10/20(木) 22:07   No:23786
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Title: Re:命の終わり、死の意味    
あきさま
ありがとうございます。

あきさま
死にたいぐらい、そこまで思い詰めるのには、いろいろな事情があるんだと思います。
私が軽々しく、何か言えるものでもありません。
でもどうぞ あなたの命を大切にしてください。
あきさまががんばって生きていることで 救われている人が きっといます。


Name: みやど
Date: 2011/10/20(木) 22:27   No:23787
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Title: Re:命の終わり、死の意味    
猿田坊さま
ありがとうございます。

死は状態の変化に過ぎない。
例えて言えば、
皮膚が死んでアカとなって落ちていくのと大差ないってことなんでしょうか。
それなら、ちょっと 怖さが和らぐ気がしますが。

肉体はただの入れ物、と聞いたことがあります。
肉体は滅びても、心、精神は永遠に生き続けるのでしょうか。


Name: 猿田坊
Date: 2011/10/21(金) 00:31   No:23790
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Title: Re:命の終わり、死の意味    
みやどさん、落ち込みから戻られたようで安心いたしました。

「永遠」は頭のなかにしかありません。仮に永遠なものがあるとして、それが「永遠」であることはどのように確認できるでしょうか? 限りあるものを認識した時、その反対として永遠を頭のなかで妄想するだけ。ただの妄想です。
仮に永遠があるとして、永遠に苦しければどうするのでしょう。もし楽な状態の永遠が存在するならば、楽という概念自体が苦との比較から生じますから、苦しさがどこかにあって「楽」が生じていると考えられ、永遠の楽という概念自体に矛盾があることとなります。

仏教では「涅槃」を説きますが、これは頭で考えてわかるものではないとされています。死後の世界をどうのこうの頭で考えるな、いまいかに生きるかが大事なのだと教えます。死後の展開は「結果」ですから、いま心を浄め、よい行いをすることで結果がもたらされる。死ぬ瞬間まで心を浄めろ、励め、というわけです。

皮膚がアカとなっておちていく……というより、皮膚が傷ついたらカサブタをつくって新しい皮膚をつくる、という感じかもしれません。
生まれる時の身体も心がつくっていますから、皮膚が傷ついたら使えなくなった皮膚をあきらめて新しく皮膚をつくるように、今の肉体も使えなくなったら心が離れ、新たな身体(人間とは限りません)をつくるというわけです。ちなみに、人間に生まれることは難しく、仏教に出会うことも難しいといいます。


Name: 犀の角 [URL]
Date: 2011/10/21(金) 07:11   No:23791
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Title: Re:命の終わり、死の意味    
向かい合うというのは考えることではありません。
自分の心で起こっていることを観察すること・・・感じることです。
考えることが苦しみそのものですから、一心に何かをしていれば考えることは少なくなります。
心配しても何もなりませんのでね。
そのような意味で仏教の死生観を研究するのはよいと思います。

現代医学で多くの癌が治るようになりましたが、それに加えて自分の中にある治癒力(免疫力)を活性化する方法もたくさんあります。
人によりますが、末期癌が治る人もいます。
自分にできることはたくさんありますので、医者だよりではなく自分でも学んでください。
忙しくて心配している暇なんてないですよ。^^


Name: 想月
Date: 2011/10/21(金) 09:04   No:23793
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Title: Re:命の終わり、死の意味    
みやど様…

此の命は、神様…此の大宇宙から授かった大切な宝物です。
如何なる理由が有れ自ら命を奪う行為は決してしてはなりませんよ。


死の恐怖。死への恐怖。
それは、この現世に未練や想いが沢山有るからだと思うの。

これは、誰しもが想い感じるもの。
この現世において何も未練や想いがなければ「恐怖」の二文字は心に表れないと思うの。

私も、この春から体調を崩し病院通いをしています。
病院に行く前はネットで病状を調べては不安になり、身体が震え。診察を終えては医師からの病名を聞いては不安になり、その病状をネットで調べては不安になり…

一人者なら少しは気が楽なのだろうけど、年老いた親を一人残しては逝けない。

何かをして気を紛らわせて生きてみよう。
「病は気から…」本当だよ。


Name: k
Date: 2011/10/30(日) 19:46   No:23839
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Title: Re:命の終わり、死の意味    
こんばんわ

私は人生は(どう生きるか)ではなく(どう死ぬか)
だと思います

貴方様の人生はまだ続きがあります
そうでしたら、残される方の為に何ができるか?
やり残したことは無いか?
ヒタスラ探してやり尽くしたらどうでしょうか?
(人は用が無くなったら死にます)
皆この世に(ある用事)をすませに来ただけなので
それが終わったら死んでしまうのです

逆に死にたくなければ(用事)を作れば死ななくなるかも
しれません

後もし医者が(助からない)とサジを投げているのでしたら
EMを試してみてください
医薬品ではないので、メジャーにはなっていませんが
EMを飲んでガンが消滅した人はかなりいます
EMで検索すればすぐネットで見つかりますよ


Name: みやど
Date: 2011/11/04(金) 00:19   No:23906
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Title: Re:命の終わり、死の意味    
猿田坊さま
犀の角さま
想月さま
kさま
ありがとうございます。

返信が遅くなってしまいました、ごめんなさい。

あまりにも考え過ぎてしまうため、
少し ここから離れていました。
気持ちに波があって、平常心と不安恐怖の間を振り子のように行ったり来たりしていますが。

私はまだまだ死ねません。
仰るように やり残したことがいっぱいあります。
息子の卒業を見届けたいこと、娘たちの花嫁姿、孫の顏も見たいです。
旅行に行ったり、仕事もずっと続けていたいです。
そのためには、身体をちゃんと治さないといけないですよね。
いろいろ勉強して、くよくよせず前向きに、病気に立ち向かって行きます。

私はまだまだ死ねないんです。
勇気出します。

EM 検索してみますね。


Name: タタータ/犀の角改め [URL]
Date: 2011/11/07(月) 07:33   No:23919
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Title: Re:命の終わり、死の意味    
恐怖を避けようとするから恐怖が大きくなるんですよ。
恐怖の中に留まって、恐れる自分を見つめていれば、恐怖は問題でなくなります。

> 私はまだまだ死ねないんです。
死を否定して抵抗している間苦しみは大きくなります。
抵抗をやめたとき苦しみはなくなります。



Name: 猿田坊
Date: 2011/11/07(月) 14:00   No:23921
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Title: Re:命の終わり、死の意味    
お寺に法話をちょくちょく聞きに行きます。法話では僧侶の身近な人の死がよく語られます。どんな人だったのか、どんな風に僧侶と最後のやり取りがあったのか…。そういった話の中で、そのお坊さんは「ガンは一番幸せな死に方だ」とおっしゃいます。

なぜか分かりますか。
事故だったら、本人も心の準備ができません。息を引き取る間際に周囲には家族がいない可能性も大きいでしょう。さらに家族も、突然の死に堪え難い悲しみに襲われると思われます。
しかしガンであれば、本人も家族も、心の整理をしていくことができます。家族に見守られながら「ありがとう」と最後に伝えて静かに息を引き取ることができる。だからガンで死ぬことが一番幸せだと、その僧侶は言います。

あれもしていない、これもしていない。確かにそういう「やり残したこと」「見ていない光景」を求めることは、生きる原動力にはなると思います。
しかしながら、本当にしたいことって何でしょう? どんなときに一番幸せを感じてきましたか? 家族の喜び、うれしそうな笑顔、思いやりある言葉…卒業や結婚を通して実現したいのは、こころの喜びではないでしょうか。

家族でそろってご飯を食べる。同じテレビ番組を見て笑う。卒業、結婚といったハレの日ではなく、ありふれた日常にこそ心のやり取りがあって、思い出となっていくのではないでしょうか。
物質はいつかは壊れます。人間の体も同様です。しかしながら、心に残したよい思い出、教えは受け継がれて行きます。いったい何を残したいのか、自分がいなくなったあとに、どう感じてどう生きて行って欲しいのか。そういった面から考えてみても良いのではないかと思います。

ガン細胞も自身の体の一部です。戦うのではなく、上手く付き合うという方向で、ストレスにならないようにやっていったほうがよいのではないかと思いますよ。


Name: みやど
Date: 2011/11/07(月) 22:41   No:23925
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Title: Re:命の終わり、死の意味    
タタータさま
猿田坊さま
ありがとうございます。

このごろ、少しづつではありますが、死を受けとめられるようになって来たかなと思います、ほんの少しですけどね。
生まれた以上は、誰しも避けて通れないことですから。
あまり じたばたすることはなくなりました。

死を見つめつつも、それと同時に、病と向き合う覚悟もできました。

確かに、こうなってみると、普段の何気ない生活はとても大事です。
一日一日を丁寧に 生きていきたいです。





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