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Name: あき
Date: 2011/12/07(水) 13:40
No:24068
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Title: なぜですか
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人の寿命はきまっているのですか? 松田直樹というサッカー選手が 34歳という若さでなくなってしまいました なぜなのでしょう、 天命といいますが、 生まれてから死ぬまでの人生は 決まっているのでしょうか?
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Name: 猿田坊
Date: 2011/12/07(水) 22:19
No:24069
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Title: Re:なぜですか
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こんばんは。それはあきさんが宗教やスピリチュアル、その他諸々の世の中の説において何を信じるかによると思います。色んな人が色んなことをいってますから、どれを信じるのかということです。
自分はお釈迦様の仏教、初期の仏教の教えをとりますので、カルマというものをもとに考えます。人はその行い(身、口、心(意))によってカルマを積み、そのカルマを自ら受けます。 人はそもそも死ぬ生き物です。「死」自体に善悪はありません。死という「現象」があり、それを「いい」「悪い」と判断するのは、人間の心です。カルマにより結果を生じますが、それは「現象」「出来事」というより、受ける感覚としてとして「苦」「楽」「苦でも楽でもない」のどれかとなります。悪いカルマの結果であれば「苦」を感じるわけです。
したがって、たとえば地獄のなかに生まれた生き物は、常に苦を受けているわけですから、死んで他の世界に生まれ変わることが「よい」こととなり、善いカルマの結果を受けたこととなります。
さて、ここで本題に戻って、ある人が亡くなったとして、それが何によるか、善いカルマか悪いカルマかは通常わかりません。お釈迦様ほどの悟った方でしたら分かるのでしょうが。 ですので、「若くして亡くなってしまい可哀想だ、悪いことだ」と判断するのは早計です。場合によっては、人間に生まれて色んな「苦」を受け、悪いカルマを消費したことで人間としての命を終え、天界という、「楽」がほとんどの世界に生まれ変わっているのかもしれませんから。
しかし、突然その寿命を断ち切ってしまう悪いカルマも存在します。カルマのことは通常は分かりませんから、考えないのが一番です。
次に、「生まれてから死ぬまでの人生は決まっているのか」ですが、決まっているという人もいるでしょうが、仏教では運命論は採用していません。人は努力することで成長するからです。もし全て最初から決まっていたとしたら、人間は堕落して終わることでしょう。 堕落した人間が幸せになるか? なっていないのが現実です。周りも不幸にしたりしますね。仏教は自分自身、そしてあらゆる生命の幸せを目指す教えですから、運命論はとらないわけです。
以上、自分の採用している教えに従って回答いたしました。ご参考になれば幸いです。
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Name: タタータ [URL]
Date: 2011/12/07(水) 23:37
No:24070
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Title: Re:なぜですか
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人の寿命は運命ですから大体決まっています。 自分の魂もそれを承知して生まれています。 しかし運命は固定されたものではなくて、自分が内側から変われば運命もどんどん変わってゆきます。 仏教は運命を変えるためのものです。 ですから人によって寿命の結果は違ってきます。
死ぬ時も魂が納得して死んでゆきます。 死が悪いことだという価値観は人間のエゴによるもので、魂の思いとは別のものです。(自殺は例外で、それは死ではなく殺人です。)
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