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Name: 疑問
Date: 2016/06/16(木) 10:12
No:28925
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Title: 善と悪
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はじめまして。質問があります。 "善人なおもて往生をとぐいわんや悪人をや"と下にありますが"善人でさえ往生するのに悪人が往生しないわけがない"では悪人が良くて善人が悪いということになりませんか。 以前からこの意味がわかりませんでした。
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Name: せんべい
Date: 2016/06/19(日) 10:34
No:28934
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Title: Re:善と悪
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おはようございます。
善人、悪人と見るのは人間なのかもしれません。
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Name: 在家
Date: 2016/06/17(金) 06:58
No:28928
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Title: Re:善と悪
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人間はすべての人が「悪」を持っています。 今、舛添さんを糾弾している人たちも、もし自分が都知事になればほとんどの人が大なり小なり同じことをするでしょう。 だから政治と金は永遠のテーマなのです。 みな自分の悪を隠して、善人を装うっているだけです。
そのように人間の善は、嘘で塗り固められた偽善です。 それよりも自分が悪人であることを知っている正直者のほうが神の世界では救われるという意味です。 親鸞さんにはそれがわかっていて、日々自分の悪と向き合っていたのでしょう。 そうでなければ出てこない言葉です。
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> はじめまして。質問があります。 > "善人なおもて往生をとぐいわんや悪人をや"と下にありますが"善人でさえ往生するのに悪人が往生しないわけがない"では悪人が良くて善人が悪いということになりませんか。 > 以前からこの意味がわかりませんでした。
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Name: 在家
Date: 2016/06/18(土) 06:35
No:28931
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Title:
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Name: 花月園瑞鶴
Date: 2016/06/18(土) 11:41
No:28932
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Title: Re:善と悪
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結論からいえば、善人も悪人も死ぬ、という事実を述べているにすぎない。 「往生」とは、人の命の終わりに臨み、阿弥陀如来が迎えに来て、極楽という世界で往き生かしてくれるということだから。
出典は『歎異抄』という本だが、これは親鸞が浄土思想について語ったものだ。 浄土思想とは阿弥陀如来の本願による極楽往生を願う思想である。
その本の冒頭に「弥陀の本願には、老少善悪の人を選ばれず。ただ信心を要とすと知るべし」とある。 ・阿弥陀の存在意義は救済の対象を選ばない。 (=すべての存在を救済する) ・なので阿弥陀を信じることだけが大事なのだ。 (=阿弥陀を信じれば極楽往生間違いなし) ということだ。
その後に「善人なをもて往生を遂ぐ、いはんや悪人をや」と出てくる。 だから善人悪人は、先の「老少善悪の人を選ばれず」をふまえての言だ。 これは ・善人ならば自分の修行の力で仏の世界に往くことができる。 (=善人なをもて往生を遂ぐ) ・ということは阿弥陀にとって自助努力ができる者を救うことは二の次ではなかろうか? ・まして自分が「悪人」だという自覚に基づき阿弥陀を信ずれば、 (=いはんや悪人をや) ・なおのこと阿弥陀が本願力でもって往生させてくれるにちがいない。 ということになる。
言い換えると ・「善人」は自分の修行でもって覚れる特別な人 ・「悪人」は自分の修行では覚れない普通の人々 というわけで、一般常識での善人悪人ではない。 だいたいにおいて意識的無意識的を殺生戒を犯さずに生きていける者がどれだけいるだろう? 山川草木悉有仏性の世界では世人はすべからく悪人なのである。世人はすべからく悪人であるという認識をキリスト者は原罪と呼ぶ。
悪人の犯す悪よりも、自らを善と信ずる者の犯す悪がどれほどにおぞましいことか。
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Name: 在家
Date: 2016/06/20(月) 07:02
No:28937
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Title:
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