|
Name: まほろば
Date: 2013/01/28(月) 20:12
No:4919
|
削除 |
Title: お布施が値上がり悩んでいます
|
|
祖父の代よりお世話になっているお寺に昨年なくなった母の一周忌を依頼したところ、今まで祖父、祖母、父の法事にて納めた金額の倍の金額(10万)を提示されて悩んでおります。 故人全員戒名位は院号です。今までは49日法要に10万のお布施でしたが一周忌以降は一霊5万、二霊同時に法要する場合は7万の時もありました。 父亡き後、母が法事を取り仕切っていた時代までは住職本人がお布施の金額を決めていましたが、私がお寺とのやりとりをするようになってから年老いた住職に代わり2代目の方が金銭的な事に関して取り仕切っているようです。 倍になったことが納得いかないので問いただすと「経営が厳しい」と言われ取り合っていただけませんでした。 このほかにも母の49日法要後より、お盆と春秋のお彼岸時の1年に3回のお布施を納めるようにいわれています。祖父の代よりそのような事はおこなっていなかったのですが、納めないと本寺にて法事を行うことができないと言われたので、この件に関しては次回より納めることを承諾したという経緯があります。 公務員であった両親に比べ、転職を繰り返し収入の安定しない私にとって両親と同じ金額を法事の度に納めるのが精一杯なのですが、それ以上の事を要望されるのは苦しいです。 今までに納めてきた額にて私なりに出来る範囲で今後も法事を続けていきたかったのですが、倍の金額になってしまうと家計も圧迫してしまうので可能であったはずの法事も行う事ができなくなります。 このような場合、やはりお寺を変えるしかないのでしょうか? そのような行為は宗教上、許される行為なのでしょうか? 先祖のお骨は公団共同墓地に収めておりお寺にはありません。しかし、お寺用の位牌が納めてあります。お寺を変えるとなると位牌の御霊抜きなどのお布施として高額な金額が必要になるのでしょうか? 本来、救いの場であるはずのお寺のこと自体が悩みとなり、大変悲痛な思いでおります。何かよいアドバイスがありましたらお願いいたします。
|
|
|
|
Name: 水波坊
Date: 2013/01/28(月) 23:01
No:4920
|
削除 |
Title: Re:お布施が値上がり悩んでいます
|
|
お布施は喜捨であって「料金」ではないのですから、本来的には自分のできる範囲で精一杯をする、というのが基本です。寺が「価格」まがいのものを提示して支払いを強要するとすれば、それは正常な布施の考え方を逸脱していると思いますね。 また、寺を変えるのは自由です。寺と檀家というのは相互契約関係ですから、一方が口頭で「関係を解消します」と言って寺に預けている位牌を持って帰れば済む事で、その場合に高額な「離檀料」などを請求されたとしても、書面を交わしていない限りは支払う義務はありません。ただ、常識的に、今までお世話になったということである程度の御礼は包むものとは思いますが。 いずれにしても、法事一回で10万円を「要求」するというのは論外だと、個人的には思います。料金ではないので、10万円を布施する気持ちがあって、実際にそれをできる方は素晴らしいことと思いますが、あくまでも継続的に供養をしていくほうが大切で、一般的には法事は3万円または5万円程度が多いのではないかと思います。少なくとも私の地域ではそんなものですし、行事や盆正月の布施も、3000円から多い人でも1万円くらいです。
ただ、おじいさまの代よりお世話になっているとのことで、どの程度の寺とのつきあいの深さかもわかりかねますが、関係を切るのはすぐですけれども、一度切ると元には戻りませんので、上に書いたことと逆のことを言うようですが、離檀というのは最後の手段として考えられのがいいかとは思います。どうしてもダメ、やれない、ということであれば、それは仕方ないとは思いますけれども。
供養は心です。もしお金のことで供養の心が乱れる、仏教や寺に不信感が出てくるというのであれば、それが一番、不幸なことです。寺や僧侶には色々な人がいますが、本来は仏法は素晴らしいものであり、本当の信心は素晴らしいのだと、そこだけは是非、心に収めておいてください。
|
|
|
|
|
Name: まほろば
Date: 2013/01/29(火) 22:36
No:4923
| 解決
削除 |
Title: Re:お布施が値上がり悩んでいます
|
|
早速のお返事ありがとうございます。 内容を読んで勇気づけられました。 お布施の金額についても水波坊さまが書き込まれた金額が妥当だと感じます。 わたくし個人としては法事は親戚が集い、故人について偲ぶ機会として大切なものだと思っていますので、これからもできる限り行っていきたいです。 今度の一周忌を機会に、親戚交えてお寺側と話し合うつもりです。 長年お世話になったお寺であるので、双方納得のいくような方向を模索していきます。 最後のお言葉「仏法は素晴らしいものであり、本当の信心は素晴らしい」を心に刻み母の一周忌までに乱れてしまった供養の心を整えていくつもりであります。
|
|
|
|
Name: おとじろう
Date: 2013/01/09(水) 14:37
No:4915
|
削除 |
Title: 納骨の日取りについて
|
|
お世話になります。宗派は浄土真宗です。 12月に父が亡くなりました。四十九日法要の日程のことで家族で意見が分かれております。お寺さんとのお付き合いが無いためどう考えてよいかわかりません。お導きをお願いします。因みにお墓は霊園墓地にあり、霊園より手配してもらったお坊さんにお経をあげてもらうことになっています。 四十九日法要および納骨の日を、当初忙しい兄のスケジュールに合わせ実際よりも1週間前に日程を立てておりました。ところが、兄嫁の実家の宗派ではその日は埋葬には適さない凶の日であることが解り、兄嫁が気になるので日程を四十九日よりも1週間後にずらし吉の日にしてはどうか、と提案してきました。私としては出来れば四十九日に、もしくはそれよりも前倒しで行いたいと考えています。確かに気にはなりますが、よその宗派の考えを鵜呑みにすることは出来ず迷っています。浄土真宗にもそのような納骨に吉凶の日はあるのでしょうか。兄嫁の実家の宗派によると、どうやら後で災いをもたらすような日であるとのこと。どのように考えていったらよいでしょうか、お願いします。
|
|
|
|
Name: 盛岡青龍寺
Date: 2013/01/10(木) 13:04
No:4916
|
削除 |
Title: Re:納骨の日取りについて
|
|
結論から申し上げれば、四十九日前後で皆様のご都合のよろしいときでよいということです。
ご質問の中に 「兄嫁の実家の宗派によると、どうやら後で災いをもたらすような日であるとのこと」とあります。 凶と言われた日が、何に基づいておっしゃっているのかが分かりませんが、仮に六曜でいう仏滅などということであれば、 弊寺は真言宗ですが、私の知る限り鎌倉以前から続いている仏教宗派では、そのような 六曜(ろくよう)を取り入れている例は存じません。
また、浄土真宗の開祖であります親鸞聖人は、「愚禿悲歎述懐」のなかで、
「かなしきかなや 道俗の良時・吉日えらばしめ 天神・地祇をあがめつつ 卜占祭祀(ぼくせんさいし)つとめとす」
と、迷信の六曜を信ずるなとおっしゃておられます。
一番良い方法は、お葬式をしてくださったお寺様にご相談されることであると存じますが、霊園で手配してもらう御坊様にお経をあげていただくということのようですから、ご参考までに。
|
|
|
|
|
Name: 天台沙門
Date: 2013/01/10(木) 22:42
No:4917
|
削除 |
Title: Re:納骨の日取りについて
|
|
青龍寺さんのご意見に同感です。
例えば「六曜」というものは、明治に「具注暦」と一緒にそれに記載された諸々の暦注が廃れたにも関わらず、それだけが残ったものですから「迷信」のうちでも新参者といってよいでしょう。おそらくは兄嫁さんのご実家では「六曜」ではなく、「十二直」とか「二十八宿」とか、そういった暦注を基準にした判断をなさっていると推察します。
私見ながら、まあ「迷信」といって切り捨てるものなんだかな、とも考えますが、しかし仏教的な習慣では決まった日に行えないならば前に行うことが普通です。「三月またぎ」の七七日を避けて五七日というのはよく聞きます。ですが日が悪いので一週間後(八七日!)というのは不自然でお勧めできません。どうせ繰り延べするのなら百ヶ日まで延ばしてしまったほうがすっきりするような気もしますが、最善策は葬儀を司ってくださった方に四十九日法要もご依頼し、日程についての判断もお任せするのがよろしいかと考えます。
追伸 「兄嫁の実家の宗派によると、どうやら後で災いをもたらすような日である」とのことですが、「方違え」のように暦注による災厄を避ける手段というものは発明されるもので、そちらの宗派で災厄日とするのならば息災祈願の方法もおもちと考えますが、どうなのでしょうね?
|
|
|
|
|
Name: おとじろう
Date: 2013/01/21(月) 18:02
No:4918
| 解決
削除 |
Title: Re:納骨の日取りについて
|
|
盛岡青龍寺様、天台沙門様
ご丁寧にご回答を頂きましてありがとうございました。 お陰様で四十九日法要の日程については不安を捨てることが出来、家族全員の都合の良い日を選びました。
お二方のご意見を尊重し伝えた上で、四十九日の法要も葬儀を司ってくださったお寺さんにお願いしてはどうか(互助会でお世話くださったお坊さんです)、またはこれを機に近くのお寺さんの門徒となってはどうか、と提案してみました。ところが、母や兄はマイナスのイメージしか持っていないようで、兄嫁と私だけが推進派で兄や母は及び腰でした。霊園のお坊さんをキャンセルするのは失礼に当たるので今回はこのまま行きましょう、ということになりました。追々考えるとのことでしたが、どうなるでしょうか。。。。
今回の相談については取り合えず解決しました。またご相談に乗って頂くかもしれません。その節はよろしくお願いします。
インフルエンザが流行り始めているようです。どうぞご自愛ください。
ありがとうございました。
|
|
|
|
Name: 田田
Date: 2012/12/27(木) 22:33
No:4913
|
削除 |
Title: どうしたら良いでしょう?
|
|
こんばんは、いつも皆様には色々教えて頂きありがたく思っております。 今回も山形県鶴岡市の某お寺の運営方法でもめてまして、お教え願います。住職に意見を言えばすぐ曹洞宗の顧問弁護士なる○宮弁護士から文書が届きます。都合の悪い事にはすぐ弁護士が出てくるのでどうにも出来ない状態になっています。 たとえば、気に入らない意見を出した人には弁護氏の回答書と一緒に「厳しく対処する」などと、脅しに近い文書を送りつけます。 宗務庁に言っても、弁護士が入っているからとまったく相手にしてはくれません。 今は気に入らない人に脅しなのか内容証明郵便で損害賠償請求してきています。
|
|
|
|
Name: 天台沙門
Date: 2012/12/28(金) 12:30
No:4914
|
削除 |
Title: Re:どうしたら良いでしょう?
|
|
過去ログ[No.4666]拝見しました。 >現在集落名義の土地である墓地を「檀家総代から承認を得た」「使用期限が来たから」などと嘘をついて寺名義に登記変更しようと町内会長などを呼び出し判をつかせようと ……「使用期限が来た」ならば借地契約の問題で、登記云々は関係ありませんね。そもそも虚偽の原因をもって移転登記を強要することは「詐欺罪」にあたるわけで、この件は寺檀紛争ではなく住職個人と町内会との民法上の問題として、きちんと法廷で処理すべき(契約関係の有無の確認とか文書化されていない契約の成文化)でしょう。寺檀紛争ではない民事係争なら宗も寺も関係はありません。
※
正直なところ、私も代理人弁護士を依頼したことがあります。その経験から。
※
Q1 住職に意見を言えばすぐ曹洞宗の顧問弁護士なる○宮弁護士から文書が届きます。都合の悪い事にはすぐ弁護士が出てくるのでどうにも出来ない状態になっています。 A1 最善の対抗手段は当方も代理人弁護士をたてることです。 基本的に代理人弁護士をたてたケースでは一定の解決がみられるまで代理人だけが交渉の場に出て、依頼者は交渉の場に出ないよう指示されます。このように代理人交渉をすると、感情的なやりとりを避けることができる・相手側から確実に返答を得ることができる、というメリットがあります。ですがコストの発生は避けられません。 もちろん、法曹資格がなくとも弁護士と「口喧嘩」をすることは充分に可能です。ただし、素人が玄人と冷静かつ論理的な話ができるかは別の話で、先方代理人が法に触れないギリギリの文言を使ったり、弁護士という権威をもって「議論」の形式を採った「申し渡し」をすることが少なくありません。
Q2 気に入らない意見を出した人には弁護氏の回答書と一緒に「厳しく対処する」などと、脅しに近い文書を送りつけます。 A2 この点については「何を理由にどのような厳しい対処を考えているのか、具体的に教えてくれ」と率直に訊き返すことが効果的ではないでしょうか? その際、大切なことは弁護士に対し文書で質問し弁護士名によって文書で回答させることです。 なぜなら、弁護士が職務において「嘘をつく」ことは自身の存在を危うくする行為ですから、弁護士に訊ねることで「嘘をつく」ことが織り込み済みの住職への抑止となりうるからです。端的にいえば、弁護士と文書のやりとりが残れば先方の依頼者に原因がある不誠実対応でも、弁護士が虚偽や逸脱を繰り返せば弁護士会という上位機関に対し弁護士の誠実な対応を要求できるからです。
Q3 宗務庁に言っても、弁護士が入っているからとまったく相手にしてはくれません。 A3 残念ながら、これは当然の反応です。そもそも包括法人は寺檀関係に介入しません。 また、普通に考えれば「弁護士を紹介して欲しい」との住職の要請に応じて弁護士が代理人を務めているのでしょうし、基本的に宗派そのものは住職側の立場であると考えたほうがよいです。
Q4 今は嘘を追及した人に脅しなのか内容証明郵便で損害賠償請求してきています。 A4 内容証明を使うということは、その文書が裁判資料(証拠)として扱われることが暗黙の前提となります。ですから、それに応じるにはそれなりの準備をしてください。 まずもって、「嘘」が事実ならば、 (1)内容証明で指摘された「嘘の追求」という行為自体は事実である。 (2)追求した「嘘」はこれこれの証拠によって「嘘」であることは明らかである。 (3)「嘘の追求」は(例えば、あるべき宗教行為・詐欺まがい行為の停止)という公共の利益を目的として行った。 (4)よって損害賠償請求には応じない。 との回答文書を送ることで対抗できるのではないでしょうか。
いずれにせよ、まずは法テラスなど費用のかからない方法で弁護士に相談をすることをお勧めします。
※
先方の代理人は駒澤大学の学長もお勤めになられた「雨宮眞也弁護士」と推定しますが、実際に文書を作っているのは雨宮弁護士の事務所に所属する弁護士のどなたかでしょうし、弁護士は依頼人の主張が事実であるという前提で仕事をしますから、当方は先方の主張する事実が虚偽であることを文書のやりとりによって知らせるしかありません。依頼者が「嘘つき」ならば、本気でやると、弁護士が自主的に辞任したり依頼人に解任されたりとかします。
|
|
|
|
Name: マルボーロ
Date: 2012/12/04(火) 13:07
No:4910
|
削除 |
Title: 法事とお寺まいりについて教えてください
|
|
先日実家の父が亡くなって七七日が終わったばかりです。
七七日の法要は遺骨を預けたお寺で行いました。そのあとの会食で、叔父(父の弟)達から「盛大な七七日やったけど、この後初盆とか一周忌とかするの?」と聞かれました。盛大といっても遺族(父にとっては妻とその子供夫婦6人、孫が8人)15人+父の弟とその伴侶で合計5名+母の兄弟姉妹関係が8人+兄嫁の両親2名の合計30名でした。その場では「まだ決めてはいないけど、いちおうするつもりだ。」と答えておきました。正直叔父達は迷惑なのかな?と感じさせるような会話でした。
この会話があった上での質問ですが、私達は8月に初盆、9月末に一周忌の法事を行うつもりでいます。ただ、夏の暑い盛りや残暑厳しい時期に法事を行い頻繁に来てもらうことはやはり迷惑なのでしょうか?ちなみに叔父達は同じ県内なので、お寺までの時間は電車を使って1時間弱くらいです。かえって母の兄弟姉妹たちは新幹線を使って2時間なのでこちらのほうが負担だと思うのですが、私や母をねぎらう言葉だけで帰って行きました。
私としては法事の際は案内はきちんとして、来る来ないはそれぞれの判断でしてくれたらいいと思っていたのですが、そうではないのでしょうか?父は叔父達とそんなに仲が良かったわけではないので、そこが問題なのでは?とも考えますが、それと法事は別だと思っていますし、父の実弟達だから案内だけはしなくてはいけないと考えてきました。
プライベートなことを言えば、父は長男で私の母と結婚当時は父の両親と3人の弟たち(みなまだ学生でした)と暮らしていました。ただ父と実の母親(私から見れば祖母)とそりが合わず、父親(祖父)が亡くなり3人の弟達が皆就職した時点(結婚してから10年)で、母親が3人の息子とともに仏壇を持って家を出ました。仏壇やお墓は末弟が継ぎました。息子として母親の生活費の送金は母親が亡くなるまできちんとしていましたが、弟達からは責められることが多かったですし、お葬式も七七日のときも妻である私の母には一切言葉をかけず、私の兄とだけ話していたのはやはりいい気持はしませんでした。でも礼儀はきちんしようと思い、私たち子供は普通に接しました。
他の兄弟姉妹は仏事に疎く、今後のことをどうしていくか相談しても、なかなか答えが返ってこないので、こちらでご相談させていただきたいと思い、書き込みさせていただきました。
@命日が10月初旬の場合、初盆と一周忌、どちらか1つだけの法事の案内でいいのか?そうしたくはありませんが、叔父達の言動や行動を考えると…、悩みます。
A実家には今まで仏壇もお寺もなく、今回葬儀屋さんから近くのお寺を紹介していただきました。恥ずかしながら七七日が終わっても仏壇は用意していないし、遺骨はお寺に預かっていただきました。(私は遠方に嫁いでいて他の兄弟姉妹は実家の近所に住んでいるので、よくよく頼んでおいたのですが、「母が乗り気でないから。」という理由で話はすすまなかったようです。)今月帰省のときに、ゆっくり時間を取り、仏壇の話は私がすすめいていくつもりです。また、位牌は実家に、遺骨がお寺にあるので、どちらにもおまいりしたいのですが、お寺におまいりする場合のマナーなどがあれば教えてください。お寺のほうは法事で使っている以外はいつ来てもらってもいいですよ、とは言われました。服装は黒っぽいスーツでいいでしょうか?また私の子供は5歳なのですが、一緒に連れて行ってもかまわないのでしょうか?
お教えいただきたいと思います。説明不足や言葉の使い方など、間違っているところもあるかもしれませんが、よろしくお願いします。
|
|
|
|
Name: 天台沙門
Date: 2012/12/07(金) 09:18
No:4911
|
削除 |
Title: Re:法事とお寺まいりについて教えてください
|
|
基本的なところは >私としては法事の際は案内はきちんとして、来る来ないはそれぞれの判断 ということでよろしいでしょう。そもそも冠婚葬祭というものは、そういうものだとおもいます。
Q1:命日が10月初旬の場合、初盆と一周忌、どちらか1つだけの法事の案内でいいのか? A1:お盆はお盆、ご命日はご命日、でそれぞれの意味があることですから、両方の法要を別々になさり、案内もそれぞれになさるべきでしょう。ただし、新盆のやりかたについては地域性やお骨を預かっているお寺の方針があるので、あらためて考える必要があります。
Q2:お寺におまいりする場合のマナーなどがあれば教えてください。 A2:墓参なさった時は「何某の家族ですが」などと、お寺に声をかけてください。その際に「お布施」を包んでいただければ、とても、ありがたいです。金額は数千円で充分ですが必要というわけではありません。服装は「喪服」である必要はありませんが、他家を訪問して失礼にあたらない格好を心がけてください。お子さんは連れていってさしあげたほうがよいです。時と場合に応じた態度というものを教える機会でもありますし、また墓に眠る人がどんな人であったかを話してあげるとよいでしょう。 これは忘れがちなのですが、本堂の外で手を合わせるだけでよいので本尊さんにお参りをしてください。
以上、ご参考までに。
|
|
|
|
|
Name: マルボーロ
Date: 2012/12/13(木) 09:07
No:4912
| 解決
削除 |
Title: Re:法事とお寺まいりについて教えてください
|
|
お返事ありがとうございました。 子供が病気でなかなかパソコンが開けず、お返事を読むのが遅くなりました。
お返事を参考にして、法事の話を進め、お寺まいりをしたいと思います。嫁ぎ先では何度か経験していますが、実家でのお寺様とのお付き合いは初めてですので、失礼のないように、また父の供養のしっかりしていきたいと思います。
また何かありましたら教えていただきたいと思います。 ありがとうございました。
|
|
|
|
Name: 1Q
Date: 2012/11/23(金) 19:40
No:4897
|
削除 |
Title: 釣りと不殺生戒について
|
|
日蓮宗の在家・中年男子でございます。思うところがあり、数ヶ月前から、五戒や十善戒を心掛けるようにしております。
戒のひとつに不殺生戒がありましたので、趣味の海釣りを辞め、道具も処分しました。代わりの趣味として、バードウォッチングを始めてみようと思っているところです。
ところが日が経つにつれ、やはり釣りをしたいという欲求にかられてしまいます。どうも釣りへの誘惑は断ち切れそうにない気がしてしまいます。
実際に釣りをしていた時には、餌虫を殺し、釣れた魚を殺すことに罪悪感を感じるものの、そのうち夢中になり出すと、しだいにその罪悪感も薄れてしまうという状況でした。
不殺生なのですから、文字通りに解釈すれば、道楽としての釣りは悪しき行為になるのは理解しているつもりですが、現代社会なら、多少は許されるのではないかという思いも、なぜだか頭の片隅にございます。
しかし、釣りで餌や魚を殺す(なるべく魚は食していました)ことは、同じ戒の不偸盗、不邪淫のように、盗んだり、不倫をすることと同レベルの行為なのかという疑問も生じ、悩んでしまいます。
お釈迦様なら現代であれ、当然釣りを禁ずるでしょうか。野暮な質問で申し訳ありませんが、ご助言賜りますと幸いです。どうぞよろしくお願いします。
|
|
|
|
Name: 天台沙門
Date: 2012/11/24(土) 15:41
No:4898
|
削除 |
Title: Re:釣りと不殺生戒について
|
|
端的に申せば、「道楽として」魚類の生命を奪う可能性のある行為である「釣り」を行うことは、釈尊は禁じられると考えます。
論点は2点あります。
第1点目は「釣り」という行為の目的です。それを生業とする(せざるをえない)人が存在する以上、「釣り」という行為を全否定することは生業とする人々の存在を全否定することになります。そのような判断を釈尊がするか、という論点です。 釈尊在世中も、出家者は「自分のために釣られた魚/殺された獣」でなければ布施として食してよいこととなっていましたから、釣魚や魚食そのものは否定されるものではないでしょう。 したがって、職業であれば釣魚は制限はされても禁止はされないと判断できます。
第2点目は「道楽」という行為の考察です。職業であれば「せねばならぬこと」でしょうが、娯楽そのものは明らかに「しなくてもよいこと」に含まれます。なおかつ他の生命を奪う行為は「してはならぬこと」や「しないほうがよいこと」に属しますから、娯楽としての釣魚は「しなくてもよいこと」かつ「しないほうがよいこと」なので禁止されるべきと判断できます。 さらにいわせていただくと、貴殿のご質問にある「誘惑は断ちきれない」・「罪悪感も薄れる」とのご自覚をおもちであれば、「誘惑を抑える」・「罪悪感を意識し続ける」とお勤めいただくことが、そのまま戒に則ることと考えられます。
※
ところで、原始的な宗教感覚では「生命を食すること」に一定の価値を見いだします。 狩猟神である諏訪大社の祭文には、人に狩られて死んだ獣は肉体を失うことで成仏できる、という思想が隠されているそうです。北海道のイヨマンテや北米原住民のトーテム信仰にも同様の感覚をみてとれます。「いただきます」という言葉に象徴される日本の食文化の基底にある、食材となった動植物の生命が自分自身の生命の一部として一緒に生きてゆく、という感覚も一緒でしょう。 この観点からは、ご自身で食することを前提とする限りにおいては目をつぶっていただけるのでは、とも想像できますが、ただし神へ犠牲を捧げる(生命を供物とする)行為は釈尊が否定なさっていたことには留意せねばなりません。
|
|
|
|
|
Name: 1Q
Date: 2012/11/24(土) 18:29
No:4899
|
削除 |
Title: Re:釣りと不殺生戒について
|
|
天台沙門 様
はじめまして。ご丁寧な回答、ありがとうございました。釣りをするために、心のどこかで肯定的な回答をいただきたいという期待があったのだと思います。しかし覚悟を決めて、二度と釣りはしないことを決意致しました。
この度は誠にありがとうございました。またご縁がございましたら、なにとぞ御教授下さいますようよろしくお願いします。大変参考になりました。
|
|
|
|
|
Name: 風来坊
Date: 2012/11/26(月) 05:52
No:4900
|
削除 |
Title: Re:釣りと不殺生戒について
|
|
釣りをするしないという行為の問題ではなく、釣りをしたいという心が問題なのです。 釣りという行為を我慢したところで、その心が発する殺生はほかのいろんな行為に現れるでしょう。 戒律というのは意思の象徴ではありますが、型だけ真似しても点で面を相手にするようなものです。
その心を本気でなくしたければ、どんどん釣りをすることです。 そして針を刺され切り刻まれるミミズの苦しみ、必死で逃げ回る魚の苦しみを自分のこととして体験しながら、一方でそれを楽しんでいる自分の中の残忍さを見つめることです。 そうすれば我慢せずとも自然に釣りをしたいと思わなくなります。
私は道具は非常用具として残してありますよ。 いつでも釣りに行けます。 20年以上経つのでリールなんか使えないかも?^^
|
|
|
|
|
Name: 1Q
Date: 2012/11/26(月) 12:09
No:4901
|
削除 |
Title: Re:釣りと不殺生戒について
|
|
風来坊 様
はじめまして。ご回答ありがとうございます。風来坊様はかつて釣りに夢中になり、そして「自分の中の残忍さ」を自覚なされた結果、自然と釣りをしたいと思わなくなり、20年以上釣りをしていないという状況なのでしょうか。ただし道具だけは、非常用具として残してあると。
理屈くさくて申し訳ないのですが、例えば不邪淫戒、不飲酒戒に置き換えますと、もし異性と交わりたい、酒を飲みたいという気持ちがあるなら、我慢せず自分の愚かさに気付くまで、どんどんそれを実行したほうが良い、ということと同じにならないでしょうか。
しかし世間では、それで大失敗をし、取り返しのつかない人生を送らざるを得ない人が、多数いるような気がします。釣りに関しては、それをした結果、取り返しのつかない人生を送っているというのはあまり無いと思いますが。
もし差し支えなければ教えていただきたいのですが、風来坊様は僧侶さまでしょうか。
PS.天台沙門様からのご回答後、「解決」とさせていただきましたが、その後、風来坊様からコメント頂きましたので、一旦「解決」を解除させていただきました。誠に申し訳ありません。
|
|
|
|
|
Name: 風来坊
Date: 2012/11/27(火) 06:51
No:4903
|
削除 |
Title: Re:釣りと不殺生戒について
|
|
私は坊さんではありません。 信用しない方がいいかもね。^^
不邪淫、不飲酒が不殺生と同じ方法か?ということですが、邪淫は生命感情、飲酒は空虚感(エゴ)、殺生は蓄積された感情(阿頼耶識)によるもので、方法は全部違います。 心の中に邪淫、飲酒、殺生があって、それを我慢することが不邪淫、不飲酒、不殺生だと思いますか? 戒律は同じ想いの人が集まるときは相乗効果がありますが、個人的には一つの方向性です。
魚釣は自分の中に残忍さがあって、それを楽しんでいます。 残忍さを心の中に溜めておくより、開放して消滅するほうが不殺生ではありませんか? そのためには最小限の犠牲で自分の残忍さを体験し尽くしてしまうことです。 1Qさんは釣りに罪悪感を感じているわけですから、罪悪感を感じ尽くせば、自然に釣りに行きたいとは思わなくなるでしょう。
不殺生とは?行為(型)のことか?心の様相なのか?という違いだと思います。
|
|
|
|
|
Name: 風来坊
Date: 2012/11/28(水) 06:56
No:4905
|
削除 |
Title: Re:釣りと不殺生戒について
|
|
きょうは不邪淫について。
よく人は生かされていると言いますが、性欲は食欲と同じように生命に備わっているものです。 それが邪淫になるのは、性欲に飲み込まれてしまうから。 私たちと釈迦の違いは、生命感情に飲み込まれるか飲み込まれないかの違いです。
飲み込まれないためには性欲をよく見つめていること、気づいていることです。 その気づく力を養うことが不邪淫で、我慢することが不邪淫ではありません。 この辺は瞑想の領域になるので、不殺生とは方法が違います。
飯を腹八分にとどめることも同じ力で、飽食と邪淫は同じです。 教科書に書いてないことは信用できませんか?^^
|
|
|
|
|
Name: 1Q
Date: 2012/11/28(水) 11:42
No:4906
|
削除 |
Title: Re:釣りと不殺生戒について
|
|
風来坊 様
ご回答ありがとうございます。最初の質問でも記載致しましたように、私が釣りをしていた時には、餌虫を殺し(イソメというミミズのような餌で、ハリにさす時に、いやがり噛み付いてきます)、釣れた魚を殺すこと、時にはハリを飲み込んでしまった毒魚をそのまま海に返すということに、初めのうちは罪悪感を感じておりました。
しかし、そのうち夢中になり出してしまうと、しだいにその罪悪感も薄れ、時間も忘れて釣りをしてしまうという状況でした。
つまり、風来坊様が上記で書かれておられる、「飲み込まれてしまった」状況であり、その結果、仕事にも影響を与えるほどでした。遠出して釣りをしておりましたので、折角来たのだからという思いもありましたが。
そのような事情や他にも思うところがあり、やはりお釈迦様がおっしゃっていることは正しいという思いになり、釣りを断っています。ただし、お釈迦様、昔のように夢中はなりませんので、少しだけ釣りをさせて下さいという気持ちもあり、質問させていただきました。
申し訳ありませんが、風来坊様のように、あまり深く考えてはおりませんが、いずれの戒であれ、型から入ることも大事なような気がします。
度々ありがとうございます。
|
|
|
|
|
Name: 風来坊
Date: 2012/11/29(木) 06:29
No:4908
|
削除 |
Title: Re:釣りと不殺生戒について
|
|
仕事に影響を与えたり、お金を使い果たしてしまうのは依存症になりますので、何か依存の要因があるのでありませんか? 不殺生を理由に依存対象を断つのはよいと思いますが、依存の対象が他のものに移るだけだと思います。
依存や犯罪は戒律で収まる問題ではありませんので、時間をかけてご自分を見つめてみてください。
|
|
|
|
|
Name: 1Q
Date: 2012/11/29(木) 19:17
No:4909
| 解決
削除 |
Title: Re:釣りと不殺生戒について
|
|
風来坊 様
親身になってご回答下さり、ありがとうございます。 参考にさせていただきます。またご縁がございましたら、なにとぞよろしくお願いします。
|
|
|
|
Name: siori
Date: 2012/11/26(月) 16:52
No:4902
|
削除 |
Title: 和尚様のお葬式
|
|
数年前に母を亡くしてから、ここ何年かお寺の住職様に法要をして頂きお世話になっています。 30年以上前に祖父母が亡くなった時は前の住職様でした。 今月ですが、前の住職様がお亡くなりになりました。 お寺の前の道路にお葬式の案内があって、たまたまそこを通って知りました。
住職様はいくつものお寺を兼任していて、とてもお忙しい方なので お会いするのはこちらがお願いした法要の時ぐらいで、お盆もお寺にお塔婆を頂きにに行く時ぐらいです。 その時も総代の方々がいるだけで、住職様は他のお寺に行かれていらっしゃいません。
実は一年前に法事の事でとても住職様にご迷惑をかけてしまい、お寺に行ってお詫びに行った事があったのですが、その時にたくさんのお話が出来て住職様のお人柄に触れる事が出来ました。
私はあまり覚えてはいないのですが、前の住職様にもお世話になっているので、お葬式には出られなくてもお香典(?)をお渡ししてご冥福をお祈りしたいと思っているのですがいかがなものでしょうか? また突然伺うのも失礼でしょうか? お寺の総代からも家には何も連絡がないので、こちらで相談させていただきました。
|
|
|
|
Name: siori
Date: 2012/11/28(水) 18:13
No:4907
| 解決
削除 |
Title: Re:和尚様のお葬式
|
|
総代から連絡が来ました。すみませんでした。
|
|
|
|
Name: あけ
Date: 2012/11/22(木) 12:55
No:4894
|
削除 |
Title: 数珠について
|
|
お尋ねします。 新しく数珠を新調しました。 この数珠は和尚さんに念を込めていただくというか、開眼していただくというか、表現はわかりませんが、何かしていただいた方がよいのでしょうか? 真言宗です。 よろしくお願いいたします。
|
|
|
|
Name: 天台沙門
Date: 2012/11/23(金) 16:35
No:4896
|
削除 |
Title: Re:数珠について
|
|
まずは、菩提寺をおもちならば、そちらの住職さんにお訊ねいただくことが最善です。
※
数珠(念珠)は、「数」の「珠」というくらいで真言や念仏を唱えた数を数える道具です。単なる「カウンター」だという観点からは、別に開眼供養などせず普通に使い始めてかまわないと考えます。
または著名寺院で御守り代わりに腕輪念珠を授与なさっておられます。この場合は、授与以前に開眼(またはこれに準ずる)法要をなさっているでしょうから、ご自身で仏具屋さんで求められたのなら開眼供養はしたほうがよいという考えになります。また、数珠を曼荼羅とみなすという信仰もありますから、こちらの場合でも開眼をしたほうがよいでしょう。
※
私は、別項でも述べておりますが位牌や仏像も一種の「道具」である立場をとっています。簡単にいえば、位牌や仏像そのものを拝んでいるのではなく、人はその「道具」によって象徴される「死者の人格」や「救済の機能」を拝んでいるのですから、開眼供養などの儀式はその気分を明確にするために行うにすぎない、という立場です。
|
|
|
|
|
Name: あけ
Date: 2012/11/27(火) 20:30
No:4904
| 解決
削除 |
Title: Re:数珠について
|
|
天台沙門様、ありがとうございました。
|
|
|
|
Name: ドラ
Date: 2012/11/14(水) 17:15
No:4878
|
削除 |
Title: 手元供養・分骨について
|
|
現在私は、長男とその嫁と仲が悪い状態にあります。 原因は、私が外国人と結婚したことのようです。
これまでの流れから最近ふと思ったのですが、両親が他界すれば、おそらく「法事」には一切呼ばれない気配を感じます。 「お葬式」に呼んでもらえるかも不安な状態です。
私はこの様な状態から、手元供養に希望を託そうと思い始めました。 ・・・しかしこの状態、ましてや今から「分骨」の話しなど出来そうもない状態。
最悪お葬式に呼ばれない状態になった時、次男もしくは参列者にお骨を持ち帰ってもらうように頼むことは罰あたりもしくは罪なことでしょうか?
もしくは、「お骨にこだわたなくても、良いではないか?」と言う意見もあるかと思います。
しかし、兄と嫁と仲直り・・・と言うのは恐らく無理な話でしょう。 2人の兄には、子供がいません。 特に長男と嫁は、嫁の姉の子供に全てを託すつもりでいるようです。 なので、私の子供は「認めない」ようです。
|
|
|
|
Name: 盛岡青龍寺
Date: 2012/11/16(金) 14:36
No:4880
|
削除 |
Title: Re:手元供養・散骨について
|
|
[これまでの流れから最近ふと思ったのですが、両親が他界すれば、おそらく「法事」には一切呼ばれない気配を感じます。 「お葬式」に呼んでもらえるかも不安な状態です]
未来のことは誰にもわかりません。 分からない先のことをくよくよ考えないで、今のあなたの人生を幸せに生き抜くことが一番ですよ。
[最悪お葬式に呼ばれない状態になった時、次男もしくは参列者にお骨を持ち帰ってもらうように頼むことは罰あたりもしくは罪なことでしょうか] 罪などはございませんからお願いすればよろしいと存じます。ですが、ご長男夫婦がご両親と暮らしているとすれば、分骨しないこともあり得ますね。拙僧も火葬場で分骨させてほしいと頼んだ兄弟に、喪主が分骨を拒んだ例は存じております。そのようなことの無いよう、ご兄弟仲良くなさってくださいませ。
|
|
|
|
|
Name: ドラ
Date: 2012/11/17(土) 18:59
No:4881
|
削除 |
Title: Re:手元供養・散骨について
|
|
ありがとうございます。 兄夫婦は、両親にあまり好意を持っていないようで、常に困らせる行為をしてきました。 今回の結婚についても、私達・・・と言うよりも両親のやり方が気に入らないと言う感じです。
私達は誠心誠意仲良くしたく思い兄夫婦の言うことを聞いてきました。 兄が「話しがあるから・・」と呼ばれれば、駆けつけました。 その結果、1時間すっぽかされた挙句、「何で電話しなかったのか?」と逆に怒る始末です。
法事があるからと兄夫婦の家の掃除に行けば、「時計がなくなった。」ときちがいのように母に何時間も電話する始末です。
「私達が同じ地元に住むのならば、自分達は嫁の実家に<帰る>と父を脅します。
母が望んでいた「兄弟仲良くは出来ない。」と脅します。
父が遺産として分けたいと言った土地も「外国人には、先祖代々の土地はやらない。土地の世話は嫁の姉の子供にさせる」と勝手に決めてしまっています。
兎に角、両親、私達が憎くて仕方がない様子なので、このようなことを考えてしまいました。
ちなみに次男は「両親の葬式には、参列しない。」と言われました。
仲良くなれればとは思いますが、これ以上歩みよるのは控えようと思っています。
|
|
|
|
|
Name: ドラ
Date: 2012/11/17(土) 19:07
No:4882
|
削除 |
Title: Re:手元供養・散骨について
|
|
兄と嫁の性格・考え方から考えると、分骨はしないと思います。 頼めば、頼む程。。。
母は、2年ほど意識不明で長くはなさそうです。 父は、最近大病で入院。「お前は父の面倒見なくて良い、ヨボヨボになったら、施設に入れる。」とあっさり言う兄。
母が倒れる数年前に、実家の家業を手伝いに帰国し、母が倒れてからと言うもの、母が抱えていた実家の何もかもを背負って今日まで日本で過ごし、「このまま日本で住む」と伝えると、「なんで帰って来た?」と言われる始末。 もう、7年以上このままなのです。
墓守りも「忙しい!」と何でも一言で済ます兄夫婦に代わって、私がしています。(以前は母がしていましたから) これもひとえに、お葬式・分骨・法事を認めてもらう為の行為です。
|
|
|
|
|
Name: 盛岡青龍寺
Date: 2012/11/18(日) 19:34
No:4883
|
削除 |
Title: Re:手元供養・散骨について
|
|
{墓守りも「忙しい!」と何でも一言で済ます兄夫婦に代わって、私がしています。(以前は母がしていましたから)これもひとえに、お葬式・分骨・法事を認めてもらう為の行為です。}
目的はなんであれご先祖様をお守りするという行いはとても素晴らしいことです。きっとあなた様のご家庭にご先祖様の加護がございますよ。 ところで法律的なお話になりますが、一般的に民法では遺骨については、「祭祀財産に準じて祭祀承継者が取得しこれを管理すべきものと解するのが相当である」という内容の判例が定着しておりまして、お墓の管理をあなたがなさっているのであれば、あなたにこそ葬儀を行い、遺骨を相続する権利が生ずるとも考えられます。 書かれていることだけでは仏壇やお墓のことなど詳しくわかりませんから一概にはお答えできませんが、いざとなったときは私が書いておいたことはきっとお役にたちますから覚えておいてくださいね。仏事相談から法律相談みたいになってしまいましたが・・・
|
|
|
|
|
Name: ドラ
Date: 2012/11/19(月) 14:10
No:4885
|
削除 |
Title: このように考えています。
|
|
【目的はなんであれご先祖様をお守りするという行いはとても素晴らしいことです。きっとあなた様のご家庭にご先祖様の加護がございますよ。 】
とても嬉しいお言葉ありがとうございます。 現在、私自身このことを身にしみて感じています。 話せば長くなりますが、もしお時間があれば、 【書かれていることだけでは仏壇やお墓のことなど詳しくわかりませんから一概にはお答えできませんが 】 を踏まえて、恥ずかしながら家族の暴露話とも思える私達のいきさつを聞いていただけたらと思います。
しかし、結果から申しあけますと、 【お墓の管理をあなたがなさっているのであれば、あなたにこそ葬儀を行い、遺骨を相続する権利が生ずるとも考えられます。】 これは、地元では、古くからの資産家である我が家、長男は世間では尊敬される職業についているので、これらを傷つける.ことなく私の願いだけを叶えることを希望します。 私達はこれから、両国(私と夫)で事業を展開する予定で、仏事のことなどは、兄に任せるのが良いことだとも思っています。
私の願いは、手元供養(分骨)とお墓参り、出来れば法事の参加で十分だと思っています。 もちろん兄が放棄するのであれば、私が代わりにしたいと思ってもいます。
母は、かつて私に夢でみた話を嬉しそうにしてくれました。 私の娘らしき子供が、お墓の掃除をしていたと。。。 ひょっとして、その夢は正夢になるかもしれない気持ちもあるのは確かです。
|
|
|
|
|
Name: ドラ
Date: 2012/11/19(月) 14:11
No:4886
|
削除 |
Title: 兄と私の結婚のいきさつ
|
|
【兄と私の結婚のいきさつ】 もともと、兄も結婚する時は家族全て、賛成ではありませんでした。 母からは、脅迫(嫁が)に近かった・・・と聞いています。 母の考えは「兄さんの結婚も本人次第だと思ったから、反対はしなかった。だから、あなた達兄弟にも賛成反対は聞かなかった。とにかくこの結婚は母は嫌だった。」
ここで、大きくこじれてしまったのは、私達の結婚を兄達の反対するのは目に見えていると判断した母が、直接話すと決めました。(私が直接話したいと言う意見をを却下されました) ところが、運悪く話し合いの場所に親戚が来てしまい、事の大切さを考えない父が、「ついでに」という感じで、その場で話したことにあったのです。
兄は怒ってしまい、その場を退室。 それからなのです。兄達の態度がこのようになったのは。 「あのような、シチュエーションで話されたら、反対したくても、出来なかった。」 いまだに根に持っています。
とにかく母は私達兄弟の幸せを平等に願っていました。 私はとにかくいつも母のそばにいましたから、母の気持ちや思い、これまでにも兄嫁が常にどんな態度・言葉をとってきたか知っていましたので、辛い気持ちでいっぱいになりました。
結婚して初めての帰国、兄は口を一切聞いてくれなくなりました。聞く耳も持たず。
|
|
|
|
|
Name: ドラ
Date: 2012/11/19(月) 14:11
No:4887
|
削除 |
Title: 私と母の信頼関係
|
|
【私と母の信頼関係】 以前からも何かと問題ばかりの一族です。 母は、これまで以上にお墓参りを重要視するようになりました。 そんな母をみて、私は「母の心が休まるのなら」と思い、母についてお墓参りについていくようになりました。
私は幼い時から、苦労ばかりの母を支えたいと思って育ってきました。 一族で苦労する母、父の事業は母が主体で会社を大きくしていきました。 母を助けたい・・・その一心で母のサポートをしていた私は、いつの間にか人生を考えるようになりました。 もし、父・母がいなくなってしまったら・・・
そしてわたしは、20代から、自ら苦労をする選択をするようになりました。 辛いとされる職業を選び、海外にも飛び出しました。 何度も、諦めるように母から、甘い言葉を囁かれました。
|
|
|
|
|
Name: ドラ
Date: 2012/11/19(月) 14:12
No:4888
|
削除 |
Title: 最大の苦労
|
|
【最大の苦労】 皆が心配していた苦労がやってきました。 国際結婚です。 海外では、苦労の連続でした、しかしその度に自分で解決出来た自分に自信を持っていましたが、今回ばかりはさすがに「もう無理だ」と思いました。
母には「もう頑張ったから、皆に誤ってあなたは日本でやり直しなさい。」と言われるまでです。 その時には、私はトラウマによるパニック障害も患っていましたし、出産直後で幼い娘を抱えていました。 母は、透析をする身になり、老いと仕事と抱えており、私が唯一頼れるのは、心の支えのみです。 母の仕事を引き継ぎ、家事、育児、全てを一人でこなさなければならない日々。 何度も命を断とう考えた時、母は言いました。 「子供の為に生きなさい。そして毎日笑って乗り越えなさい。」
それは辛い日々でした。 それでも、自分のするべきことを淡々とこなし、泣いて言うことを聞かない娘、愛おしく思う気持ちをもてない自分への腹立たしさ、でも、全て少し未来の希望を捨てずに頑張りました。 荒れ果てた放置された膨大な我が家の土地、黙々と掃除しました。 お墓参りは欠かしません。自宅にある母方の仏壇も大切にしました。お寺の奉仕にも参加しました。
そして、無理やりにでも笑っていた当時から、心の底から笑える日が増えてきた。 娘が愛おしく思えてきた。 父母の有難味を感じられるようになった。 たわいのないことに幸せを感じる日々。 感謝の気持ちがあふれた時、幸せがやってきました。
|
|
|
|
|
Name: ドラ
Date: 2012/11/19(月) 14:13
No:4889
|
削除 |
Title: ご先祖様のご加護を感じた瞬間
|
|
【ご先祖様のご加護を感じた瞬間】 幸せを感じられる日々がやってきたものの、私の尊敬する母は、意識不明になってしまいました。
いつの間にか強くなっていた私は、以前のように動じることなく、淡々と日々を過ごしていました。 しかし、どうして拭いきれない寂しさから、ほぼ3年間連絡をしなかった夫に連絡してみました。
そして、あのパニック障害に陥るほど辛かった当時を夫が打ち明けてくれました。 「実はあの時、20年前に事故で他界した父親の遺産が見つかった。 でも、それを手にするのにはたくさんの障害があったため、幼い娘を育てていかなければならない妻に迷惑・心配をかけたくなかったから、黙って身を引いた。 本当は妻・子供を手放すのは辛かったが、問題が終わったら打ち明けて許してもらおうと思っていた。」
この出来事が私の人生を大きく変えました。 手にして喜びを感じるのは、 「これを受取とれる自分になる為に、修行をさせてもらってきた。」と思える自分になれたことです。
夫の父が残した遺産にも思いが込められていたと思います。 他界後20年越し・・・残したい相手の手に渡った。
今までの「どうして?なんで?こんなことに?」という疑問が一揆に繋がったように思います。
人の気持ち・心の痛みがわかるような人間になれたこと。 先祖を大切に思う心。 奉仕・還元したいと思う心。 これからも続く試練に向き合おうという気持ちを持っているということ。
娘が、「ママ」と慕ってくれること。
|
|
|
|
|
Name: ドラ
Date: 2012/11/19(月) 14:14
No:4890
|
削除 |
Title: 兄夫婦について
|
|
【兄夫婦について】 嫁の姉は、離婚問題中、遠くの実家から(母を介護中の両親を置いて)、父が建てた家(兄夫婦が住んでいる離れ)に父の許可なく住もうとしていました。(近所のアパートに住んだらしいが住所などの報告は一切なし) その両親もたまに夫婦そろって、こちらの方に来ていますが、父には一切挨拶なしです。 田舎なので噂になります。 以前、嫁の母から私の母に届いた1通の手紙「私の娘はよく気が付いて、常識のある人間です。どうか可愛がってやって下さい。」・・・母はとても呆れていました。
兄は「お前の娘を抱かないのは、もしだっこすると結婚を認めたことになる。」と言います。
嫁は、料理をしません(毎日外食)。浪費家です。家の掃除はしません。 本家にある仏壇はいつもほこりだらけ・・・母がいつもぼやいていました。 現在は本家に移り住んだ父が仏壇の面倒を見ています。。 そんな嫁に、父は期待していませんし、何も言いません、呆れています・・・ほとんどの用事が私に回ってきます。 家族問題には一切無頓着であった父でさえも今の兄夫婦の行動には「意地悪な奴」と言います。
兎に角、結婚後いたせりつくせりの待遇を受けていた兄夫婦は苦労知らずなのです。 (以前は父も長男が自慢でしたし、世間の何も知らない人々は2人を高く評価します。) 本人達は自分達の意見が通らなければ、気が済まないのです。 他人と考えを譲り合って生きていくというのが出来ない性分なのです。 そして、自分達の生き方が正しいと思っているようなので、家族以外の他人の生活にもとても過干渉なのです。
ところが、次男は今人生で悩んでいる時です。長男からの連絡は一切ないそうです。 「本来長男風をふかせるなら、妹より僕の方が気になるはず。。。」と不思議がっています。
母が倒れてから知った話ですが、母は兄夫婦を知らない人には、「遠くに住んでいる」と嘘まで付いて隠していたようです。 当の本人達は全く想像もつかないような話です。
この先の父と母のお墓が心配です。。。
|
|
|
|
|
Name: 盛岡青龍寺
Date: 2012/11/20(火) 10:03
No:4891
|
削除 |
Title: Re:兄夫婦について
|
|
「長男は世間では尊敬される職業についているので、これらを傷つける.ことなく私の願いだけを叶えることを希望します。」 「私達はこれから、両国(私と夫)で事業を展開する予定で、仏事のことなどは、兄に任せるのが良いことだとも思っています。」 「娘が、「ママ」と慕ってくれること」
全文読ませていいただきました。 あなたの優しさが伝わってきますね。そして、あなたがパニック障がいになられたのもその優しさとこれまでの文章を拝見していて ・完璧主義で、高い目標に向かって熱心に行動する ・責任感が強くてまじめである ・がんばり屋で、仕事や家事に一生懸命である などの、これまでに私がスピリチュアルケアで接してきました方々とよく似ていらっしゃるなあという思いを持っています。
これからがあなたへのアドバイスです。 今、あなたにとって大切なことは、気持ちをゆっくるとリラックスさせて、初めに書きましたように、自分ではどうしようもない 人の死とかそれに伴う葬儀、法要など考えても仕方のないことは 考えないことです。
「この先の父と母のお墓が心配です。。。」 このような心配は無用です。これまでのあなたのなさってこられたことはご先祖様やご父母さまはちゃんと見ておられます。皆様あなたの行いに感謝されておられますよ。仮にお願いしても分骨していただけないかもしれませんが、遺骨がなくともあなたがご自宅で御供養なされば十分ですから。
「長男は世間では尊敬される職業についている」 そうであれば、世間体のためにも、あなたがお墓の管理などをしなくなれば必ず自分でしっかりお墓は守りますよ。世間体を気にする方はお墓がきちんとなっていることこそが世間が認めることを よくご存知ですから。そんなものです。ご安心なさってください。
そして、可愛い御嬢さんと愛する旦那様と一緒になって 日本と旦那様のお国の懸け橋になるよう事業にがばってくださいませ。それこそがご両親やご先祖様への一番の恩返しですよ。 また、長いお話があるようでしたら弊寺のホームページに拙僧のメールアドレスも書いてありますからどうぞいつでもご相談くださいね。今は、外国からの留学生さんたちとも日中過ごしておりますので逆にいろいろお教えていただけるかもしれませんね。
明日は今日よりきっといい日が来ますからね。
|
|
|
|
|
Name: ドラ
Date: 2012/11/21(水) 00:39
No:4892
|
削除 |
Title: お礼
|
|
最後まで、読んで下さったのですね。ありがとうございました。 実際に口に出して言ってみたり、心の中で思っているだけではなく、文章に書いてみると整理が出来たような気がします。
「遺骨がなくともあなたがご自宅で御供養なされば十分ですから」 そういうことだったのですね。 私の母も私と同じような兄弟関係で、法事も呼ばれなければ、敷居もまたがせてもらえなかった。(財産分けで兄嫁が不満を持っていた。常に母に攻撃的でした。) ある日突然、自宅に置かれた仏壇・・・母には特に何も聞かなかったのですが、母がいつも大切に拝んでいました。 何か特別な物(両親に関する)があるのかと思っていました。 兄には一度だけ頼んでみますが、断られたら諦めます。 こんなことで争うのは、本末転倒だと思います。
こんな兄ですが、実は兄の結婚前まではとても仲が良かったのです。 「結婚すれば、嫁が舵を取り、財布の管理をする。そして旦那は陰ながらついていく」 ・・・私が思う夫婦円満の秘訣です。 どんな形であれ、兄が満足していたら、それで良いと思います。 正・誤の基準はないのですから。
気持ちはいつも平常心でニュートラルな自分になれるようイメージをしています。 話しを聞いて頂ける方がいると思うと心強いです。 ありがとうございました。お話してよかった。。。
|
|
|
|
|
Name: 盛岡青龍寺
Date: 2012/11/22(木) 10:38
No:4893
|
削除 |
Title: Re:お礼
|
|
御法事がありまして上京しておりましたので、お返事遅れましてお許しください。 「話しを聞いて頂ける方がいると思うと心強いです。 ありがとうございました。お話してよかった。。。」
あなたのお気持ちが明るく前向きになっておられるようで嬉しく思っております。お幸せで安泰な日々をお送りいただけるようご祈念申し上げます。 また、辛くなったらお越しくださいませ。 合掌
|
|
|
|
|
Name: ドラ
Date: 2012/11/22(木) 19:45
No:4895
| 解決
削除 |
Title: ありがとうございます
|
|
「また、辛くなったらお越しくださいませ。」
その時は、またよろしくお願いします。 ありがとうございました。
|
|
|
|
Name: oomilkoo
Date: 2012/11/06(火) 01:17
No:4867
|
削除 |
Title: 無題
|
|
水子の位牌について質問させていただきたいのですが、位牌を手作りしようと思うのですが、個人的に位牌を作ることは可能でしょうか?
また、位牌を手作りではなく、ちゃんと作るとしたら、どこに頼めばよいのでしょうか?
仏事に関して無知なもので、こんな質問をしてしまってすみません><
|
|
|
|
Name: 天台沙門
Date: 2012/11/06(火) 10:08
No:4868
|
削除 |
Title: Re:無題
|
|
Q1:個人的に位牌を作ることは可能でしょうか? A1:可能です。ただし、すべてをご自身でデザインなさったものだと「開眼供養(いわゆる魂入れ)」をお寺に頼もうとすると、断られるかもしれません。 私見ですが、「位牌」は「故人の人格」を象徴させるための文化的な道具ですから、貴方にとってお子さんへの想いを表しやすい物であれば、それは「写真」でも「人形」でも「名札(これが位牌の原形)」でも、なんでも善いと考えます。ですからお寺に「魂入れ」を頼まなくても、貴方がそれで納得なされるなら大丈夫です。
Q2:ちゃんと作るとしたら、どこに頼めばよいのでしょうか? A2:例えば「お仏壇のはせがわ」などの「仏具屋さん」にご依頼ください。ネット通販もあります。
|
|
|
|
|
Name: oomilkoo
Date: 2012/11/19(月) 02:22
No:4884
| 解決
削除 |
Title: Re:無題
|
|
わかりやすいお答えをいただいてありがとうございました^^
この世に産んであげれなかった分、この手で抱いてやれなかった分、その分たくさん気持ちのこもったことをしたいと思い、手作りの位牌にたどり着きました。
この子が極楽浄土で幸せに過ごせるように、気持ちを込めて作りたいと思います^^
ご返答ありがとうございました!!
|
|
|
|
Name: カリン
Date: 2012/11/04(日) 13:57
No:4863
|
削除 |
Title: 納骨について
|
|
はじめまして。 半ば愚痴になりますが、宜しくお願い致します。
私は代々続く片田舎の兼業農家長男の嫁です。 結婚して15年。 中学生の娘が一人おります。
主人の実家敷地内に新居を構え完全別生活、舅、姑の干渉もなく、世間から見たら、お気楽な嫁だと思われています。
唯一悩みの種は母屋に居座るバツ2出戻りの義理姉の存在。 息子二人を連れて出戻り早12年…。 姉が出戻りしてからガラリと生活が一変しました。
実家に出戻り、肩身の狭い生活などではなく、実家暮らしを良いことに、自由気ままな暮らしを送ってる姉。 新居完成するまでは、甥の面倒は私か母である姑。 姉の下着すら私が干していました。 彼氏を次々変えているのか、夜は帰って来たり、来なかったりの生活が常々…。 そもそも私達夫婦が使う予定だった納屋の部屋を姉親子が占領し、私の子供も大きくなるし、部屋も足らなくなるし、姉の放漫な態度も我慢が限界。 敷地内に新居を構える決断を主人としました。 家を建てる予定が全くなかったので、頭金無しで住宅ローンを組ました。
自由気ままな姉に何も言わない舅や姑にもがっかりです。 実の娘に甘過ぎる姿を毎日見ている嫁の私は、思いたくないけど、『住宅ローンさえなけ
|
|
|
|
Name: カリン
Date: 2012/11/04(日) 15:07
No:4864
|
削除 |
Title: Re:納骨についてその2
|
|
途中文章が途切れてすみません。 我がままし放題の義理姉を許している舅、姑の老後の面倒は義理姉に見てもらおうと、段々意地悪なことすら考えてしまいます。
結婚してから義理姉に振り回されっぱなしの私は、今心から義理姉が嫌いです。表面は平静を保っていますが…。
義理姉のことで主人と何度も口論にもなりました。 出戻りしてきた当初、主人も甥可愛さで姉の肩を持っていましたが、まさか12年も居座るようになるとはと…今では呆れ果てています。
前置きが長くなりごめんなさい。
義理姉は最近旧姓に戻しました。 もしかして、本家のお墓に入る気でいるのでしょうか?
結婚して実家を一度出た方は実家のお墓に入れないと聞いた事があります。 二度も結婚に失敗した義理姉は、まさか実家姓に戻して、お墓に入ろうとしているのかと、勘ぐってしまいます。
もし、義理姉が本家のお墓に入るなら、私は同じお墓に絶対入りたくないです。 それくらい私が義理姉を嫌っているのは、おそらく姉も舅姑も知らないでしょう。
醜い質問で大変申し訳ありませんが、宜しくお願い致します。
|
|
|
|
|
Name: 天台沙門
Date: 2012/11/05(月) 10:06
No:4865
|
削除 |
Title: Re:納骨についてその2
|
|
結論から申し上げます。 >結婚して実家を一度出た方は実家のお墓に入れない という決まりはありません。あくまでも慣習の問題であり、少なくとも私の預かる寺(某政令指定都市の駅近隣)では「出戻りさん」や「外孫」の遺骨を納骨した実例があります。 あくまでも納骨を許すかどうかは墓地を管理している人の権限に属します。この場合の「管理者」とは墓地の施主さん(檀家さん)のことで、公営墓地の管理事務所や寺院墓地の住職などではありませんので、念のため。
ですから、将来的に貴女ご夫妻が墓所管理に携わるようになった場合には甥御さんたちに「母親の遺骨の面倒くらい見なさい」と言って納骨を拒否することは可能です。しかし、婚家のご両親がご健在のうちに義姉さんが逝去なさった場合、納骨の是非を判断するのは義父母さんということになりますから、貴女が拒否することは難しいでしょう。
※
最終的な解決策は、将来的に甥御さんたちに「独立」してもらい「一人前になったんだから、お墓も建ててお母さんをお祀りしてあげなさい」ということになります。 前述しました通り、私の預かる寺では実家を出た人々の遺骨を納骨する檀家さんがありますが、もし貴女のご婚家の墓所が寺墓地で、その寺の習慣(ということは地域の習慣)として実家を出た人の遺骨の納骨はしないということであれば、それはそれで拒否の理由になるでしょう。
|
|
|
|
|
Name: カリン
Date: 2012/11/05(月) 16:48
No:4866
|
削除 |
Title: Re:納骨について
|
|
詳しくご説明頂き、ありがとうございました。
出戻りでも実家のお墓に入れるのですね…。
将来、私達長男夫婦が先祖代々の墓を守っていくのですが、義理両親や姉は一体どう思っているのか…。 姉は自分の納骨の事など全く考えてなさそうです。 それとも、そんな先々の事を考えている私が考えすぎなのでしょうか?
私が死後を考えるようになったのは、跡を継ぐようになる一人娘が気の毒に思えるからです。
今時、田舎農家の家督に婿に入る方はいるのでしょうか? おまけに、訳のわからぬ伯母まで居て…。
確かに娘は跡継ぎですが、娘の将来を跡継ぎだからと、我が家に繋ぎ止めるには、自信ある環境ではありませんし、娘には好きなように暮らして欲しいと願ってます。
私達が存命中はまだしも、娘に全て担わせるには重圧すぎる問題です。
仰るように、甥に義理姉のお墓を建立させるようにするのが、一番の策ですね。ありがとうございました。
|
|
|
|
|
Name: りんご
Date: 2012/11/10(土) 09:21
No:4870
|
削除 |
Title: Re:納骨について
|
|
私は僧侶ではなく一般の者ですが一言、言わせてもらいますね。
きらいな人と一緒のお墓に入りたくないという気持ちはわかりますが、それはこの世に生きている人間達のわがままのようにも見受けられます。
旧性に戻せば、その性のお墓に入る権利は十分にあると思いますよ。
甥に自分の母親の墓を建立するように言う権利ももちろんあると思いますが、甥さんは何と言うでしょうか? どう思うでしょうか?
正直な人だと「おばちゃん、わがままだね。ボクのお母さんのこと嫌いなの?」と言うと思いますよ。
出来の悪い親戚や身内を持つのはあなたの業(カルマ)ですから、相手ばかりを責めることはできませんよ。
私も出来のわるい身内がおりますが、同じお墓に入るという宿命を背負っています。
同じお墓に入りたくないなら貴女がだんなさんと離婚したらいいんじゃないですか?
出来の悪い身内がいるのは貴女の成長のためであることをお忘れなく・・・。
貴女が自分の娘さんのことを愛しいと思うように、甥さんの気持ちも考えてみて下さい。
貴女の文章を読んでいると自分と自分の娘さえよければそれでいいというエゴさえ見えてきます。
義姉さんの行く末(納骨)に関しては、両親が健在である間に、両親に遺言として決めていただくのが無難だと思います。
両親(舅・姑)なら貴女の娘さんも甥さんも孫として同じようにかわいいはすです.
甥さんが男の子なら、義姉さんが生涯、このまま独身で通した場合、貴女の娘ではなく、甥さんが本家の家を継ぐ可能性も出てきます。
その可能性を考えれば、両親は義姉さんや甥さんのことを決して粗末にはなさらないはずです。
貴女一人の感情で家の相続のことは決められないと思います。
今は何より少子化の時代ですからね。 いっそのこと、甥さんをあなた方夫婦の養子にして、家を継いでもらったらどうですか?
それとも何ですか? あんな大嫌いな義姉の子を養子にするなんて絶対にイヤですか? 甥さんには全く罪はないと思いますよ。
|
|
|
|
|
Name: カリン
Date: 2012/11/10(土) 19:42
No:4872
|
削除 |
Title: Re:納骨について
|
|
りんごさん、どうしたらあなたのように、広い心になれますか?
私の醜い胸の内は、りんごさんが書かれた内容の通りで、釈明の余地はありません。
甥を本家の跡継ぎに考えた時期もありましたが、蛙の子は蛙で、母同様道から外れた有り様です。
長男は中学入学まもなく不登校。 不良仲間と付き合い、知らぬ間に納屋一室は不良の溜まり場。 いつの間にか、女の子も住み着き、同棲状態。 姉や義理両親は知ってましたが、何も言わず放置していました。
かと思えば、警察沙汰になり少年院送り。 少年院送りになったのは義理両親、主人は知りません。 それこそ墓場まで秘密にします。
次男は高校まで進学しましたが、引きこもりになってしまいました。
姉のみならず、問題ばかり起こす甥を愛せる自信など無いです。
自分の娘だけが可愛と思うのは、おかしいですか?
自分の宿命を受け止め受け入れる、広い気持と覚悟がまだ持てません。 ごめんなさい。
本家の嫁の覚悟が少ないのかも知れません。
りんごさん、醜い胸のうちを再認識させてもらい、ありがとうございました。
他人を憎むのではなく、あなたのような気持ちを持ちたい。
|
|
|
|
|
Name: りんご
Date: 2012/11/10(土) 22:10
No:4873
|
削除 |
Title: Re:納骨について
|
|
申し訳ありません。
言い過ぎました。 言い過ぎたと思い、削除しようと思って仏事の相談室を開けたら、貴女からの返信がありました。
相当、問題のある親子のようですね。 蛙の子は蛙ですか・・・。
私はてっきりお義姉さんだけに問題があると思っていましたから。
一度、本家の相続についてはご両親とご主人を交えてよく話し合った上で決めた方がよいですね。
ただ不良少年や引きこもり少年でも、更生して立ち直ることもありますから、今はこうだから・・・といって決められるものでもありません。
将来的に本家と同姓を名乗って亡くなる可能性が十分にある甥さん達です。
そうなれば親子共々、本家のお墓に入る可能性もあります。 強引に「入れてもらって当然だ!」と言い出すかもしれません。
お墓の管理など将来的なことは不安だとは思いますが、今は無縁仏になるお墓も多いようです。
娘さんに対して負担をかけたくない、迷惑をかけたくないという思いがあるのでしたら、永代供養など色々な方法もあります。
一人で思いつめず、まずはご主人様に、そしてご主人様からご両親に話してみるきっかけを作ってみてはいかがでしょうか?
|
|
|
|
|
Name: カリン
Date: 2012/11/10(土) 23:59
No:4874
|
削除 |
Title: Re:納骨について
|
|
りんごさん、親身に相談に乗っていただき、ありがとうございます。
どうぞ気を悪くしないでください。
よそ様から見たら、我が家は複雑兼非常識過ぎて、説明しずらいのが事実です。 何も言わない義理両親に、やりた放題の姉に姉と同じような道を進む甥。 姑は娘がよほど可愛のか「何も問題無い家は無い」と私に言って来ます。 要は嫁は要らぬ口出しするなと言われてるようなものです。 嫁ぎ先の有り様に、私の感覚が狂っているのかと悩み抜いた時期もありましたが、『世の非常識が我が家の常識、世の常識が我が家の非常識』と私なりに結論出し諦めました。
何故此処で暮らすのか虚無感でいっぱいな時期もありました。
せっかく授かった第二子は水子になり、姑や義理姉の心無い言葉に鬱になりました。 主人も「もう、この家は俺の代で終わらせる。だから、子供は一人で良いし、家は継がさない。」と私に打ち明けました。 全て諦めの心境の中、沸々と湧く醜い夜叉のような気持ち…。
長いので続けます。
|
|
|
|
|
Name: カリン
Date: 2012/11/11(日) 00:22
No:4875
|
削除 |
Title: Re:納骨について
|
|
続けます。
甥、特に長男は可哀想だと、以前は思っていました。
まだ胎児の時期に姉が一度目の離婚。 実父の顔も知らず幼少を過ごし、幼稚園の頃姉が再婚。 ここまでは、まだ私が結婚する前の話です。 父親にも慣れ、弟が出来、多感な小学校四年の頃再び姉が離婚。
当の姉は離婚した途端、寂しい息子ほったらかしで夜遊び放題。
道を外れるには、悪条件が整いすぎです。
結局、同棲状態の女の子との間に一児を儲けましたが、まともに仕事もせず、母同様離婚。
今は可哀想より、何故母を反面教師にしなかったのかと思います。
次男も、きっかけがあれば、まだ立ち直りがきく時期なので、なんとかならないかと、気を揉めていますが、当の姉は息子より彼氏が第一で、一週間に何日も帰宅しません。
今日も帰ってませんね。
私が気を揉めてもどうしようも無いことですが…。
長々愚痴を読んで頂き、ありがとうございました。
|
|
|
|
|
Name: りんご
Date: 2012/11/11(日) 10:10
No:4877
|
削除 |
Title: Re:納骨について
|
|
家の相続のことを考えるとしんどいだけですね。
家の制度(家を絶やしてはならない)そのものは明治以前の考え方ですから、墓や仏壇にしばられるのは良くありません。
また外から養子や婿養子をもらっても、何のために養子にいくのかを考えたら、養子さんがかわいそうです。
今はだんなさんがおっしゃるような考え方をする人が多いと思いますし、私もそれが自然の形であるならそれでよいと思っています。
不自然なことや無理強いをするとかえってこじれるだけかもしれません。
私事で恐縮ですが、私も本家の家に嫁ぎました。 しかしその本家のお墓に叔父夫婦とその娘(独身)、そして主人の弟まで入る予定です。
何ゆえ、分家さんまでが入るのか? それは無宗教で墓や仏壇を持とうとしないからです。
「死んだら土に返るだけ、成仏も不成仏もない」と言う考え方です。 →神霊学上、一番成仏しにくいタイプですね。
私もね、最初はこれだけいろんな人が入ると複雑でイヤだなぁ〜と思った時期もありましたが、両親の死をきっかけに考え方が変わりました。
死は全てを浄化するということです。
そういえば宜保愛子さんの本に跡取りのいない人は、生きている時に先祖供養を一生懸命して下さいという内容のことが書かれてありました。
亡くなった人を迎えに来るのはご先祖様だからです。
今は跡取りのいない家が多い時代です。 絶家や無縁仏を気にすることはありません。
|
|
|
|
|