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Name: あーさん
Date: 2009/04/10(金) 00:54
No:2410
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Title: 急ぎ教えていただきたくー赤ちゃんの供養49日
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仏事の知識を持つ者が周囲におらず、こちらで教えていただきたく願います。 私は先日出産間近の臨月で子供(胎児)の心拍がなく死産しました。当時は自分も入院しており、家族も葬祭の知識も特になく精神的苦痛が大きかったため、産院の方に言われるまま赤ちゃんの事をお願いしました。 というのは、最期に病院でお別れをしただけで、あとは何もできませんでした。葬儀もせず火葬にも家族の誰も参列できませんでした。火葬後納骨もそのままできるとの事でしたが、自分の知らない場所に納骨するのもいたたまれず、納骨だけは自分達でやりたかったし、お寺にも一緒に行きたかったし、まだ離れたくないので納骨せずに遺骨を持ち帰り、毎日お水やご飯、お花お線香で自分達なりに供養しております。 体も順調に回復しのんびり過ごしてたら、あと2、3日で49日となることに気づきました。 お墓(霊園)は実の両親(健在、苗字が違う…私の旧姓)が買って持ってるだけで、まだ自分達のお墓をもってません。 仮にまだ何も建ってないとは言え、苗字が違う私の両親のお墓に入れる事ができても実家近くにあり、自分が現在住んでいる場所とは遠くて、もう暫くは遺骨を手元に持っていたいと考えてます。 ただとても心配なのは、49日とはとても大事な日のようなので供養してあげられなくて、赤ちゃんがちゃんと成仏して天国に行けないと可哀相でなりません。 それにまた可能ならぜひ赤ちゃんとして同じ魂の子が天から自分達の元に戻ってきて欲しいと考えてます。 火葬前にちゃんと供養して貰ったのかどうかもわからないし…。49日の供養もしてあげられずに取り返しがつかなくなってしまったらと思うと心配でしょうがありません。 どうしてあげたら良いのでしょうか? 両親ともに健在で決まったお寺もないので水子のお寺さんに行こうかとも思ってますが? 例えば、遺骨と一緒にお寺に行って何らかの供養をして貰ったとして、遺骨はまた一緒に持って帰る事ができるのですか?お名前とか貰うのですか? 49日の供養に納骨してお墓に入れてあげられないと天に行けなくなっちゃいますか? 遺骨をずっと側に置いていたら赤ちゃんとして同じ子は戻ってこれないですか? あと数日のこんな急でお寺も予約が取れるのか?とても心配です。 自分の体の事と生活に追われて49日の事が頭から抜けてて…本当に後悔するばかりです。 どうかどうかご助言お願いいたします。
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Name: 勇気
Date: 2009/04/10(金) 01:06
No:2411
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Title: Re:急ぎ教えていただきたくー赤ちゃんの供養49日
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ご愁傷様です。 『お寺サーチ』の中に、水子供養をして下さるお寺があるので、そちらをお勧めします。
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Name: 勝運寺山主 [URL]
Date: 2009/04/10(金) 08:12
No:2413
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Title: Re:急ぎ教えていただきたくー赤ちゃんの供養49日
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「水子の供養について」 水子の供養を致します前にご理解いただきたい事柄がございます。 まずは「水子の側に立って、水子の気持ちを考えて下さい。仏教的には、この世界に生を受ける事は、仏様より娑婆の世界にて修行をしてきなさいと、仏様から遣わされるということです。しかし、(産む、産まないの選択は親の勝手)とよくいいますが、実は水子の側からすると、自分が産まれることにより悲劇が生まれると感じた時には、母親に対して胎児は自分を早く仏の世界へ返す事を願うのです。是により水子霊が生じてきます。 ほんの少しの間でも自分が母と思い、父と思った、縁者に不利益が起こりうるならば自分の命を代償に父母に幸せになってもらう為に生ずる現象、[生んであげられなかった]、と言う結果を水子と言います。[生んであげられなかった]と言う行為は個々の我欲が強い為生ずるとも言われておりますが、それをもすべて理解し仏の世界へ帰って行った胎児の心を理解してください。娑婆界に呼んでいただいた父母の恩に報いる為、父母に幸せが訪れるように願い仏の世界へと帰っていくのです。どうか忘れないでくださいこの子達のことを。あなたの幸せを思い仏の世界へ帰って行った子供達いる事を。」 49日忌のことは気になさらないでください。
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Name: 天台沙門
Date: 2009/04/10(金) 09:36
No:2415
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Title: Re:急ぎ教えていただきたくー赤ちゃんの供養49日
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まずはお悔やみ申し上げます。
49日忌のことは気になさらないでください。 ……と勝運寺さんがおっしゃられていますが、そのとおりです。
今でこそ、納骨は49日に、ということになってはいますが、これは実は火葬が一般化した高度成長期以降に成立した極めて新しい風習です。 土葬があたりまえだった時代には、亡くなった日の夜に「通夜」を行い、その翌日に「葬儀」を行い、葬儀式の後に「野辺の送り」をして「埋葬」をしていました。 こう考えると、本来、納骨は葬儀当日に行うべきものであって、49日まで置いておくのがおかしい、ということになります。事実、私が預かる寺がある街の川向こうと丘の上では葬儀当日に納骨をします。
>>49日の供養に納骨してお墓に入れてあげられないと天に行けなくなっちゃいますか? > というわけで、追善供養の有無と、納骨の有無とは別問題です。 民俗信仰のなかでは、幼くして死んだ子どもは「賽の河原」や「リンボ」という、「あの世」と「この世」の境界に留まるとされていますが、どうも「この世」の親の執着が「あの世」に戻りきれなくさせているようです。 大丈夫。神さまか仏さまかは不明ですが、人の上にいらっしゃる何か偉大な存在がお子さんの面倒をみてくださっています。
>>遺骨をずっと側に置いていたら赤ちゃんとして同じ子は戻ってこれないですか? > うーん。「同じ」という言葉が示す内容が不安定なので、お答えしづらいのですが。
科学的には、一卵性の多胎児ですら遺伝的には同一であっても胎内での成長過程が異なるために「同じ子」ではありえないことを考えると、何をどうしようと「同じ子」は戻ってこないと言うべきでしょう。 私は水子さんもひとつの人格であると考えています。ですので宗教的には、胎内で亡くなられた人も老いて死んだ人も、同様の弔意をもって弔うことをお薦めしています。この意味からも、新しくやってくる子どもは新しい人格を持った別の人であって「同じ子」であるとは考えられません。 ただし、信仰という意味からは死者の「魂の再生」を信じることが生きている人の心の支えになる現実がありますから、なにかの事情で「あの世」に戻らなくちゃならなくなっただけで、いつかまた「この世」に来てくれると信じることは大切です。
いずれにせよ遺骨の埋葬とは無関係の話です。だって、子どもは骨のところに戻ってくるのではなく親のところに戻ってくるわけですから、遺骨を手元に置こうが納骨しようが、骨が骨壺の中に残っているかぎりは、遺骨のある場所が違うだけで同じことじゃありませんか?
>>あと数日のこんな急でお寺も予約が取れるのか? 寺院の規模によりますが、たぶん大丈夫です。ただし、時間はお寺さんの都合にあわせることになるでしょう。
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Name: あーさん
Date: 2009/04/11(土) 22:55
No:2429
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Title: Re:急ぎ教えていただきたくー赤ちゃんの供養49日
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..勇気さま どうもありがとうございました。お寺サーチ参考にさせていただきました。 勝運寺山主さま どうもありがとうございました。この世にだしてあげられなかった事、自分を責めておりました。その子の運命とも考えるのもその子に悪いというか、とても哀しすぎて…。でもあたたかいお言葉で救われます。きっと私達の事を思ってくれたとても良い子だったのでしょう。その子に心配かけないように早く元気になりたいです。 天台沙門さま どうもありがとうございました。とても理解しやすく教えていただきました。49日の事、遺骨と魂の事…なるほどと思います。骨という物にすがる…というか、頼りにせず心で想ってあげたいと思います。きっとまた赤ちゃんが来てくれる事を願って。成仏させてあげたいです。 皆さま どうもありがとうございました。皆さまのお返事を見てとても安心する事ができました。 自分なりの供養はしていたつもりですが、火葬する時にもお経をよんでいただく事が出来ずとても気になっておりました。49日、納骨…という事にはこだわらずに、自分の気持ちも安堵するように、ご供養をしていただこうとは思います。そして心が落ち着いて万事うまく納まる良い時に埋葬して落ち着かせてあげたいと思えました。 本当にどうもありがとうございました。
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Name: とろろ
Date: 2009/04/06(月) 10:47
No:2384
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Title: 写真を撮っても大丈夫でしょうか?
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知人に、神棚と仏壇の状態を見たいから 写真を撮って送ってほしいと言われました。
神棚や仏壇の写真を撮るということは、神様や仏様に対して 無礼なのではと思ったのですが、いいのでしょうか?
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Name: 勝運寺山主 [URL]
Date: 2009/04/07(火) 08:10
No:2388
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Title: Re:写真を撮っても大丈夫でしょうか?
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とろろ様へ この投稿の中でたいへん気になりましたので書き込みいたします。 なぜ、あなたの知人は、「神棚と仏壇の状態を見たいから写真を撮って送ってほしいと」言ってきたのですか? 今回の投稿の質問に対しての回答はこの問題が明確にならないと的確な回答は出てきませんよ。 基本的な事だけお話いたしますと魂の入った神棚、仏壇を写真で撮る事はお勧めできません。
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Name: とろろ
Date: 2009/04/07(火) 13:56
No:2390
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Title: Re:写真を撮っても大丈夫でしょうか?
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すみません。少し説明不足な質問でしたね。
その知人は先祖供養や除霊をする仕事をしている方で 私の家を霊視するのに家の中の様子を写真に撮らなければいけない みたいです。 家の中の様子を詳しく知るために、家の中の気になる部屋や 神棚、仏壇の写真や家族の写真を送ってほしいと言われました。 特に、神棚と仏壇の写真は必ず必要だと言われました。
私は神棚や仏壇の写真を撮るのにとても抵抗があります。 ですが、その方は「大丈夫」と言っていましたが 不安で仕方ありません。
家を霊視するのに必ず必要なのであれば、撮ることになるとは 思うのですが…。 やはり神棚や仏壇を写真に撮るということは無礼なのではと 思ってしまいます。
今回なぜ霊視してもらおうと思ったか、ですが 私の家で様々な悪い出来事が続いたうえに、私の精神状態が たまにおかしくなったりするのがずっと気がかりだったからです。
私は中学生の頃から、軽い鬱傾向がありました。 その頃から自殺願望など神経がおかしくなることが多かったのですが 高校生のときに一時的に治まり、そして18歳くらいになるとまた 鬱傾向になってしまい、体調も悪い日が続いたりしました。
今は少し落ち着いていますが、家でも様々な悪い出来事が起こったり 自分の精神がなぜ突然あんなふうになってしまったのか 全く答えが見つかりませんでした。
そんなときにHPである人のサイトを見つけ、相談したところ うちの家系はきちんと先祖供養されていないかもしれないと 言われました。
ご先祖様の護る力が弱いので霊障が起こっている、と長々と 説明していただきました。 私は霊的な世界が見えないので、それが本当なのかどうかは よくはわからないのですが 「いろいろなHPで能力がないのにお金だけ多く取って騙す人もいまが、私はその人たちとは違って根拠がある説明ができて必ず結果を 出します」 と言われました。
金額的には何十万もしませんが、私から見たら少し高いです。 でも、きちんと先祖供養をしたいと私は思っています。
長々と書いてしまいましたが、写真を撮ろうと思った理由は 今述べた通りです。
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Name: りっく [URL]
Date: 2009/04/08(水) 00:11
No:2391
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Title: Re:写真を撮っても大丈夫でしょうか?
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神棚や仏壇の写真を撮ること自体は問題がないですよ。
ただ、おうちの中の写真を撮って知らない方に送るのは よしましょう。 泥棒が大喜びしますよ?
先祖供養を”していないかもしれない” といわれたということですが、 あなた自身、現在ご供養(仏壇の前で手を合わせるなど)を されていないのでしょうか?今までご先祖様たちが供養をちゃんとしてこなかったのが問題になるのではなくあなた自身の問題だと思うのですが・・・。 それから・・・ご供養ってお金を出せば良いものではないですよ。
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Name: 勝運寺山主 [URL]
Date: 2009/04/08(水) 09:07
No:2392
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Title: Re:写真を撮っても大丈夫でしょうか?
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とろろ様へ
仔細はわかりました。霊視をしてもらう為に写真が必要との事ですが神棚や仏壇を写真で撮ります霊体が写る事があります。 拙僧も霊視は行いますが写真で必要なのは本人の写真のみでそれ以外を霊視する場合には直接その場に赴かないとわからない事が多いです。友達で有るのなら直接来ていただいて霊視をして頂いた方が間違いが有りません。
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Name: とろろ
Date: 2009/04/08(水) 15:04
No:2393
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Title: Re:写真を撮っても大丈夫でしょうか?
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りっくさんへ
アドバイス有り難うございます。 私は高校生の頃くらいまで、手を合わせるということを あまりしていなかったと思います。 ですが、家族と不仲になった時期があったり自分の精神的な状態 など、様々な出来事にあってから、お寺にある自分の ご先祖様のお墓に行き、手を合わせ供物をお供えして線香を立てて 手を合わせ、お墓の墓石も白いタオルで綺麗に拭いて お墓周りの掃除もするようになりました。
仏壇は祖母の家にあるので、今はほとんど手を合わせることが 少なくなりました。
もともと私の父、祖父母はご先祖様に手を合わせるという ことが少なかったように思います。 お墓を磨いたり、お墓周りの掃除をしているのは家族で 私だけです。 私は今、20代前半で3人兄弟の末っ子で、女です。 母親は私が15歳のときに離婚してしまったので一緒に暮らして いません。
その霊能者の方のお話だと、私の遠いご先祖様から 先祖供養を怠っていたのかもしれないということでした。
そして、よくはわからないのですが…その霊能者の方は 変な宗教にのめり込んでしまうと霊障を受けやすくなる、と おっしゃっていました。 今は、よくわからないような宗教がたくさん日本ではあると 思いますが、私の母親は父と結婚する前から宗教に入っていた らしいです。そして離婚した後もまた、街にあるどこかの宗教に 入ってしまったらしいです。
母親の血を引く私が、母親の宗教に対する信仰心によって 霊障を受けるようになったのかもしれないと言われました。
ではなぜ、兄や姉には私のような鬱症状などがあらわれないのか 不思議で仕方ありません。 なぜ他の兄弟は普通に生活できて、私だけ酷い鬱や自殺願望に 襲われてしまったのか、その理由が知りたくていろいろなサイトを 調べていました。
正直、その霊能者の方が本当に信用できる方なのか 私もよくはわからないです。 ですが、その方は 「今はHPでも高額なお金を請求するけれど能力がない霊能者が沢山います。きちんと根拠がある説明ができない霊能者は能力がないと思ったほうがいい。きちんと見極めないと騙されますよ」 と強く忠告されました。 「もし私が信用できないなら、やめたほうがいいですよ」 とも言われました。
実は私は、この霊能者の方に出会う前に違うサイトの霊能者に 霊視鑑定をお願いしたときがありました。
そのサイトは電話をすると最初は繋がったのですが、霊視鑑定を 依頼してから電話しても繋がらないときが多く 忘れた頃に結果の電話がかかってきました。 すると 「あなたには霊は憑いていませんが、邪気だらけです」 と言われました。 邪気払いとお清めと最後に結界を張って総額5万5千円になります。 とすぐに金額を言われました。 いろいろと質問をすると、その霊能者はすぐに不機嫌になり 「あなたが今やらないといつまでも治りませんよ」 と言われたので、その言葉を信じて自分の鬱が治ると考え 邪気払い、お清め、結界、というものをすべてやってもらいました。 これらはすべて遠隔だったので、霊能者がどんなことをしているのか 全くわかりません。
2ヶ月くらい経ち、終わったかどうかの確認をするために電話を したのですが、何度掛けても繋がりませんでした。 何度も何度も掛け、やっと繋がり、そのときに 「終わったら連絡します」 と言われたのですが、連絡が来ないまま半年以上過ぎました。
その後、私の鬱や自殺願望などは完全になくなりませんでした。 前よりは少しはよくなったのかな…と自分で思うくらいでした。
今では騙されたかもしれない、と思っています。
ご供養はお金を出せばいいというものではないと思っています。 私自身の心も大切ですね。 ですが、遠いご先祖様の過去に何かがあったのであれば それを知りたいとも思いますし、この先家族のためにも 悪かったものを、良いものに変えていきたいと思っています。
私の父は離婚していますが、父の妹も離婚しています。 兄も姉も結婚したくないと言っています。
霊障を受けている家系は、子孫が繁栄できずに途絶えて終わって しまうと言われてしまいました。
父の妹さんも、離婚して随分経ちますが再婚していません。
もしかしたら私も結婚したら、離婚してしまうのでは…と思って しまいます。 兄弟で一番下の私がこんなふうに考えるのは、でしゃばりなのかも しれないですが、家族を良い方向に変えていきたいですし 私自身も、今まで悪かった精神状態を良くしていきたいと 思っています。
長々と書いてしまって申し訳ございません。
これが私の今の気持ちです。
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Name: とろろ
Date: 2009/04/08(水) 15:17
No:2394
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Title: Re:写真を撮っても大丈夫でしょうか?
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勝運寺山主様へ
アドバイス有り難うございます。
家の中などは写真を見て霊視することは不可能なのでしょうか? 家の中の写真を他人に渡すということは私も抵抗があります。
家に直接来て頂くには、写真鑑定よりも何倍も高いお金がかかります。 良くしてもらっても無料で見てもらうということはできません…。 そして、私の家がかなり遠いというのと、私の父、祖父母が 霊などの存在をまったく信じていないので、そのような霊能者を 受け入れようとしないので、家にお呼びするのは難しいと思います。
勝運寺山主さんも、先祖供養や霊視鑑定などの霊能関係の お仕事をされているのですか?
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Name: りっく
Date: 2009/04/08(水) 22:53
No:2396
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Title: Re:写真を撮っても大丈夫でしょうか?
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沢山お返事を書いてくださってありがとうございます。^^
> もともと私の父、祖父母はご先祖様に手を合わせるという > ことが少なかったように思います。 > お墓を磨いたり、お墓周りの掃除をしているのは家族で > 私だけです。 > 私は今、20代前半で3人兄弟の末っ子で、女です。 > 母親は私が15歳のときに離婚してしまったので一緒に暮らして > いません。
私の祖母は仏壇に毎日手を合わせる人でした。 しかし、祖母が亡くなった後、私の母が仏壇を見ていますが、ほぼ手を合わせていません。お線香すらしていません。 ですが正直、祖母が生きている間の方が私は悲惨な生活でした。 今、母は信心しないけれど、私はとっても幸せですよ。 父も母も、前より幸せそうです。 私は私自身が信心して、皆の幸せを願っているから、皆が幸せに過ごせているんだとおもっています。皆が信心すればもっと幸せになれるとも。
信心するのに男も女も長男も次男も関係ないですよ。
供養というのはね、お墓や仏壇に向かってするのもあるけれど、 それがなくても出来るんですね。 私たち夫婦の実家は関西で、今私たちは関東に住んでいて お墓参りもできなければ仏壇もありません。 マンションに住んでいて、神棚もなく、箪笥の上にお線香と蝋燭を置き、毎朝、毎晩手を合わせて、朝は”一日お願いします”、晩は”今日も一日ありがとうございました”と話しています。 最近は神様の絵のついたお札も張っているんですが、↑こういう手を合わせることで、おうちに神様がついてくれるようになるんですよ。だから、皆のおうちに必ずいるわけではないのです、逆に来ていただこうと思えば誰もがおうちに来ていただけるわけです。
> その霊能者の方のお話だと、私の遠いご先祖様から > 先祖供養を怠っていたのかもしれないということでした。
それは今のあなたの状態とは全く関係ないと思いますよ。
> 母親の血を引く私が、母親の宗教に対する信仰心によって > 霊障を受けるようになったのかもしれないと言われました。
奇妙な宗教に入ることはお勧めは出来ません。 けれど、親が宗教を変えたことが原因であなたが霊障 をうけるというのはちょっと考えにくいです。
> ではなぜ、兄や姉には私のような鬱症状などがあらわれないのか > 不思議で仕方ありません。 > なぜ他の兄弟は普通に生活できて、私だけ酷い鬱や自殺願望に > 襲われてしまったのか、その理由が知りたくていろいろなサイトを > 調べていました
う〜ん・・・。
鬱病すべてが霊のせいとは言い切れないんですよ。
あとね、霊媒師さんに高額なお金なんて払わずに 自分で霊ってとれるんですよ? それは前に話したように、信心すること、それとたまにお寺や神社に参拝することです。 (お寺や神社は自分にあうと感じる場所がよいですよ。) 信心されている方には神様も手を貸すことが出来ます。 されていない方にはそれが神様も出来ないんですよ。
> 邪気払い、お清め、結界、というものをすべてやってもらいました。 > これらはすべて遠隔だったので、霊能者がどんなことをしているのか > 全くわかりません。
えっと・・・。 遠隔でそういうことって出来ないですよ。 結界を遠隔で指示もなくされたのでしょうか? 失礼ですが、そんなこと神様でも出来ませんよ。(−−;;) 遠隔霊視などと謳っているところは避けて間違いないでしょう。 話もしたことがない知らない人を遠隔霊視などできません。 ただの占いですよ。
> その後、私の鬱や自殺願望などは完全になくなりませんでした。 > 前よりは少しはよくなったのかな…と自分で思うくらいでした。 >
少し良くなったと思われているのは、きっとあなたの気持ちの持ち方次第であなたは変われるということなのだと思います。
> ご供養はお金を出せばいいというものではないと思っています。 > 私自身の心も大切ですね。 > ですが、遠いご先祖様の過去に何かがあったのであれば > それを知りたいとも思いますし、この先家族のためにも > 悪かったものを、良いものに変えていきたいと思っています。
ご先祖様に何があったかは知る必要はないかとおもいます。 何があっても、あなたは今ある自分について、ご先祖様に感謝し、前向きに生きていくべきなのですから。 もしあなたのご先祖様が誰かに多大な迷惑を掛けた方だとして、 それを知ったあなたはご先祖様を恨みますか?罪を許し、感謝し続けることが出来ますか?
> > 私の父は離婚していますが、父の妹も離婚しています。 > 兄も姉も結婚したくないと言っています。 > > 霊障を受けている家系は、子孫が繁栄できずに途絶えて終わって > しまうと言われてしまいました。
それも関係ないかと思います。
> 父の妹さんも、離婚して随分経ちますが再婚していません。 > > もしかしたら私も結婚したら、離婚してしまうのでは…と思って > しまいます。
そういう考えが悪い方向に導いてしまうんですよ。 悪いものの考え方をすると悪い方向にいくといいますが、 それは本当のことですよ。 逆に考えるようにすれば良いことは必ず巡ってきますよ。
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Name: 勇気
Date: 2009/04/08(水) 23:41
No:2397
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Title: Re:写真を撮っても大丈夫でしょうか?
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横スレ 悪い!
遠隔って、書いてあったけど、もしかして“レイキヒーリング”かい?
宗教は、×。神は、一人しかいないっていうニュアンス?
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Name: りっく
Date: 2009/04/09(木) 07:36
No:2398
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Title: Re:写真を撮っても大丈夫でしょうか?
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宗教すべてが×ではないですよ。 神様は一人ではないですよ。
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Name: 勝運寺山主 [URL]
Date: 2009/04/09(木) 07:52
No:2399
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Title: Re:写真を撮っても大丈夫でしょうか?
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とろろ 様へ 霊視の出来る方は多く居られますよ、霊視が出来るだけでは問題の解決は出来ません。霊との会話が出来、霊を正しい場所へお帰りいただく事が出来るようにする事が出来なければ霊視のみ出来ても無意味でありむしろ霊体の恨みを買いかねません。霊や魂は貴方に存在を気がついてほしくて暗示をしてきているのではないですか。 もしかすると貴方は自分の身の回りで起きた良くない事の多くを霊や魂が悪さをすると思っていませんか? もし、その様な考えを御持ちであるならば意識を根本から変えないと現在の状態より脱却するのは不可能です。 現状を打破出来るのは他人では有りませんあなた自身でしか出来ません。 詳しい内容は此処には書けませんので拙僧のメールアドレスに貴方のメールをください。
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Name: 勇気
Date: 2009/04/09(木) 09:43
No:2401
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Title: Re:写真を撮っても大丈夫でしょうか?
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自分は、とろろさんに聞いたつもりだったんだけどな。
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Name: とろろ
Date: 2009/04/09(木) 15:18
No:2403
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Title: Re:写真を撮っても大丈夫でしょうか?
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勇気さんへ
私が受けた遠隔というのは、レイキヒーリングではないですよ。 私が受けたのは遠隔での邪気払い、お清め、結界というもの でしたが、そのようなことが遠隔ではできないと思います…。
今では騙されたと思っていますよ。
HPのいろいろなサイトで遠隔で症状を治すとか 除霊をするとか書いている方も居ますが、遠隔で受けたものに 果たして本当に効果があるのかわかりません。 私の個人的な意見ですが、良い効果が期待できないところが 多いと思います。
勇気さんは、レイキヒーリングというのを受けたことがあるのですか?
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Name: とろろ
Date: 2009/04/09(木) 15:48
No:2404
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Title: Re:写真を撮っても大丈夫でしょうか?
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りっくさんへ
長い文章を最後まで読んで、そしてご意見も下さり 有り難うございます。
信心することはとても大切なんですね。 りっくさんがおっしゃっていた 毎朝、毎晩手を合わせている、というのが とても素晴らしいことだなと思いました。
神様の絵のついたお札というのは、どこかで購入するのでしょうか? とても失礼なことをお聞きして申し訳ないのですが… 開運グッズのようなお札なのですか?
気持ちが沈んでいたり、暗い心でいたりすると霊が憑きやすい というのは聞いたことがあります。 明るい気持ちで居れば霊は寄り付かないとも聞いたことがあります。
お寺や神社には年に数える程度しか行くことがないですね。 今後は自分のためにも神社やお寺で参拝することを心がけたいですね。
自分がこの先どうしていったらいいのか、よくはわからないです。 ですが、私は前みたいに自殺願望に襲われたりするのが恐いです。 自分の身の回りに起こったことが、過去のご先祖様と結びつけて しまうのも、どうかなと思ってしまいますが…。
ただ私は、自分が普通に生活を送り、そして自分の家族も 何事もなく平穏に過ごしてほしいなと願っているので、あれこれ いろいろと考えてしまいます。
悪く考えてしまうことが、悪循環の始まりですが 今は少し心も落ち着いてきていますが、過去の私は前向きに考える という余裕や気持ちが全くありませんでした。 どんよりとした心と考えばかりが巡っていました。 なぜ、自分はここまで辛くなるのだろう…なぜ楽しいことも 楽しいと思えなくなったのだろう、など無気力に近いような 日々が続きました。 やはり私はそんな自分になってしまうのが恐いです。 何か克服する方法があれば知りたいとも思っていますし… ですが、自分のことが一番わからないのが自分というのも皮肉ですね。
その霊能者の方に霊視を依頼するかはまだ決めていません。
もしかしたら、霊視をしていただく前に、自分の気持ちも良い 方向に変わっていくかもしれませんし。 できれば、あまりそのような方に依頼はしたくはないですね。
とても良いアドバイス、有り難うございました。
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Name: りっく
Date: 2009/04/09(木) 20:20
No:2405
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Title: Re:写真を撮っても大丈夫でしょうか?
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勇気様
失礼しました。^^; 私宛なのかどっちなのか迷ったんですが お返事してしまいました。
とろろ様
暗い気持ちでいるとつきやすいというのは本当ですよ。 私は毎週隣町のお寺に通っています。 参拝されている方や、住職様などを見ると神様がいらっしゃるか なんとなくわかりますよ。 霊能者の方はね、お寺の近くまで行くと神様がいらっしゃるかどうかわかるんですよ。神様がいらっしゃるとあたたかいんですって。^−^(逆に悪いものは冷たい)
勝運寺山主様もおっしゃっているように、 身の回りで起こる悪いことというのはすべてが霊障のせいではありません。 残念ながら悪いことはすべて無くなりはしないんですね。 でも信心によって悪いことを小さくすることが出来るんですよ ^^。それは神様が助けてくださってるんです。 みんな気づかないので、小さなことでも悪いことが起こったと悲観されますが。本当はそれですんでよかった、神様ありがとうございますと感謝されるといいんですよ。
神様のお札はお寺で購入できますよ^^ 販売していないところもあるかもしれませんが・・・。 私はネットなどで開運グッズとして販売しているものは一つも持っておりません。 普段数珠をしていますが、それもお寺の近くの仏具やさんで 購入するのがよいそうです。(悪いものが近寄ってこなくなります。) 結局高価な開運グッズなどではなく、昔からもともとあるものが良いということでしょうかね。
とろろさんはきっと自分で運を良くしていけると思いますよ^^ 頑張ってくださいね〜^0^
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Name: 勇気
Date: 2009/04/10(金) 00:03
No:2409
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Title: Re:写真を撮っても大丈夫でしょうか?
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とろろさん 自分は、レイキヒーリングを受けた事はないよ。話しは聞いた事あるけど。
りっくさん 大丈夫だよ。 自分が、誰宛か書かなかったのが悪いんだから。
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Name: りっく
Date: 2009/04/10(金) 08:00
No:2412
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Title: 追伸
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もしお札を購入するためにお出かけされて、そのお寺にお札が販売していない場合、他のお寺に行かれても大丈夫ですよ。 たまに、いろんな神社やお寺に参拝することは悪いと思っている方がいらっしゃいますが、そういうことはないです。 良くないのは、色んな神社やお寺で、ばらばらなお願い事をすることです。そうすると優柔不断だと思われて効き目はないかとおもいます。お願い事は統一しましょうね。
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Name: とろろ
Date: 2009/04/11(土) 20:45
No:2426
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Title: 返信ありがとうございました。
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りっくさんへ
暗い気持ちで居ることは本当によくないですね。 常に明るい気持ちで居たいですが、それが難しいときもあります。
私は少し悲観的になりすぎていたのかもしれませんね。 今は少し落ち着いてきているので、良い方向に変わっていけると 思っていますよ。
お札なのですが、お寺で購入できるのですか? お札は1年を過ぎると新しいものに買い変えるのでしょうか?
神社やお寺に参拝に行く前に、まずは家にある神棚を綺麗に して、神棚の神様に手を合わせたいと思っています。 うちは、父親が一年に一度だけしか神棚を掃除しないので とても気になっていました。
長い文章を最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
これからも信心することを心がけて明るい気持ちで生活 していこうと思います。
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Name: りっく
Date: 2009/04/11(土) 21:30
No:2427
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Title: Re:返信ありがとうございました。
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いつも明るい気持ちでいるというのも難しいと思います。 私だってそう簡単にはできませんからよくわかりますよ。 でも、悪いことが起こっても前よりは立ち直りが早くなりました。
お札は初詣の際に購入し、古いものをおさめます。 お守りと同じです。 もし今購入されるなら、来年の初詣に新しいものと交換するとよいです。
神棚はしょっちゅうお掃除してあげてください。 神棚がおうちにあるのであればお札は必要ないですよ。 神棚には毎日お水を上げて手を合わせてください。 お水は捨てないで出来るだけ飲み水やご飯を炊いたりすることに 使って下さい。^^ 仏壇にお供え物をしたものなども、出来るだけ残さず頂いてくださいね。
とろろさんがこれからもっともっと幸せになれますように!^^
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Name: 不動
Date: 2009/04/10(金) 12:02
No:2418
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Title: 写経について
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写経について教えて頂きたく投稿しました。 写経は普通、墨と筆で書くものと思いますが、ボールペンなどで書いてはいけないのでしょうか?また、ボールペンなどで書いた場合、お寺で納めることはできないのでしょうか? よろしくお願い致します。
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Name: 天台沙門
Date: 2009/04/11(土) 16:01
No:2422
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Title: Re:写経について
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もともと写経とは『法華経・法師功徳品』に説かれている「受持・読誦・解説・書写」という修行法に基づいています。もともとは、印刷技術のない時代に教えを普及させるために最も効果的な方法として文書を書き写すことがあったためと考えてよいでしょう。 (註:「受持・読・誦」と読み分ける場合と「受・持・読誦」と読み分ける場合あり)
>>ボールペンなどで書いてはいけないのでしょうか? > 精神修養という意味からすると、正座をして墨をすって筆で書く、という形式が好ましいことは事実ですが、筆ペンで写経なさる方が多いことを考えると、別に問題はないとおもいます。 ただし、下敷きの経文を写し書きしていることを考えると、ボールペンのように筆圧のかかるものは下敷きが傷むので、避けたほうがよいのではないでしょうか?
>>また、ボールペンなどで書いた場合、お寺で納めることはできないのでしょうか? > これは、わかりません。 というのは、納経先のお寺さんが一枚一枚どう書かれているかを確認しているかどうかがわからないですし、同時に筆以外の筆記具に対する考え方も不明だからです。
さて。 私個人はボールペン等や原稿用紙を用いての写経も薦めています。ただ、普通の写経と変えていただいている点は、きちんと意味の文章の切れ目で句読点を打ったり改行をしていただきます。そうすることによって、経文が呪文ではなく意味をもつ漢文として理解できるようになるからです。筆読というやつですね。
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Name: 悪人
Date: 2008/11/23(日) 00:21
No:1715
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Title: 懺悔
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私は悪いことばかりしてきました。 懺悔して許されたい。仏様はこんな私でも許してくださいますか?
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Name: 悪人
Date: 2008/11/24(月) 18:49
No:1728
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Title: Re:懺悔
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勝運寺様ありがとうございます。 何かとなえるお経のようなものはありますか?
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Name: 悪人
Date: 2008/11/26(水) 22:04
No:1739
| 解決
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Title: Re:懺悔
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勝運寺様ありがとうございます。 一生懸命となえます。
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Name: 鎌
Date: 2008/11/25(火) 22:56
No:1732
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Title: 寺‐養子
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お寺の養子ってどうなんですか? 特に真言宗の寺でそこに住んだり教え伝授したりするんですかね。 そもそも養子とかはないですか? 養子の場合どのような人が養子となるのですか? まったくの素人みたいな人がなったりしますか?
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Name: 一僧侶
Date: 2008/11/26(水) 07:52
No:1733
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Title: Re:寺‐養子
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養子になるだけなら誰でもなれるんじゃないですか。養子は法的な親子関係ですから。 お寺の住職の養子になっても、素人でしたら子供ではあってもお寺とは無関係になるわけです。 親がいない子供を何人も養子にしている住職さんもいらっしゃいますが、跡取りはまた別の話になります。
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Name: 勝運寺 山主 [URL]
Date: 2008/11/26(水) 07:58
No:1734
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Title: Re:寺‐養子
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鎌 様へ
よほどのご縁が在れば可能ですがそうでない限りは大変難しいです。 寺の養子ですが多くはお寺の次男さんなどがなられる場合が多いです。 在家から寺への養子は皆無に等しい状態です。
たとえ有る場合でも在家で有るがすでに僧籍をお持ちの方などはたまに見受けられます。
僧侶としての職責はけして楽な物では有りません。 拙僧としてはけしてお勧め出来る職業とは言いかねます。
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Name: くら
Date: 2008/11/26(水) 09:41
No:1736
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Title: Re:寺‐養子
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資格をもっててもお寺に入れないお坊さんが何万といるのに、素人を養子に迎えるような物好きな人はいないはずです。
いたとしても単なる個人的な親子関係であって、お寺とは関係がないはずです。
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Name: 天台沙門
Date: 2008/11/26(水) 10:30
No:1737
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Title: Re:寺‐養子
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【お寺の養子ってどうなんですか?】 【養子の場合どのような人が養子となるのですか?】
現代日本における寺院制度と養子制度の関わりは、仏法上での後継者の立場を明確にするために世俗法での養子縁組制度を利用しているとご理解ください。 重要なのは、養子縁組が先行して師匠の後嗣となるのではなく、あくまでも師匠の弟子として出家をしている人物の立場を世俗法によって確認するという点です。つまり選挙制度などで後継者が決定できるのならば養子縁組は不要ということですね。 一僧侶さんが「跡取りはまた別の話」とおっしゃられておりますが、この事情が背景にあってのご発言です。
【まったくの素人みたいな人がなったりしますか?】
勝運寺さんが「在家から寺への養子は皆無」とおっしゃられていますが、子どものいない伯父夫婦の養子となって寺の後嗣となった私の場合は「すでに僧籍をお持ちの方」の範疇です。(中学時代に得度→高校・4大→会社員→フリーター→養子となって寺に就職) いわゆる「お寺のお婿さん」の場合、まず僧籍(修行課程の履修)、次いで養子縁組(婚姻届)という流れが望まれる形式でしょうか。もっとも、お寺の娘さんと結婚なさって寺院の後継者となるという場合、寺を継ぐ予定ではなかったのに妻が寺の娘だったので縁組み関係が先行、という可能性はあります。
【そもそも養子とかはないですか?】 というわけで、寺を家業としているグループを考えると、世間一般というグループよりも養子縁組は多いです。「出来の悪い息子に継がせるよりも、よく出来た婿に寺を継がせるほうが檀家のためだ」とは婿さん(ただし養子縁組はせず)を後継者となさった方の発言です。
【特に真言宗の寺でそこに住んだり教え伝授したりするんですかね。】
「真言宗」や「伝授」ということは「養子」とは直接に関係はありません。密教において師匠から弟子に法脈を伝えるという行為は、宗教上の師匠=弟子の関係であって、世俗法における養子縁組とはまったく関係はありません。 また養子制度を利用している宗旨は真言宗に限りません。ほぼすべての宗旨に一般的な行動でしょう。
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Name: 鎌
Date: 2008/11/26(水) 15:59
No:1738
| 解決
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Title: Re:寺‐養子
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一僧侶様、くら様、勝運寺様、天台沙門様、ありがとうございました。 そして、曖昧な質問失礼しました。 余談:お寺を任せられる方はよほどのご縁がないといけない事が分かって来ました。
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Name: ゆぅ
Date: 2008/11/21(金) 12:56
No:1704
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Title: 水子供養について
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私は20年ほど前に、2回も中絶をしています。(当時付き合っていた同じ男性と)その頃は学生で、当り前のようにおろしてしまいました。その後何年か後に、お寺に供養をしに行ったのは、覚えてるのですが、どこのお寺だったのかも忘れてしまいました。 36歳ですが、今だ独身です。いい人がいたら結婚して子供も産みたいと思っています。 こんな勝手な私ですが、水子供養のことがずっと気になってます。 今の私にできることはないでしょうか? もう一度違うお寺に供養に行くのは間違ってますか?
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Name: 天台沙門
Date: 2008/11/25(火) 09:29
No:1729
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Title: Re:水子供養について
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生きている人間が、死者に対してできることは (1)その人の冥福(冥界での幸福)を、人間の上にいらっしゃる偉大な存在に祈ること (2)その人が存在していたことを忘れないこと のふたつだけだと、私は理解しております。 「葬儀=お弔い」の目的は鎮魂すなわち魂を鎮めることであり、多くの場合、死者の魂を鎮めることは意識しても、生きている人間も鎮められるべき魂をもっていることを忘れています。
「水子供養のことが気になっている」ということは、亡きお子さんのことを忘れてらっしゃらないということですから、貴方にとって「できること」をなさっているとおもわれてよろしいと考えます。と同時に、それは貴方ご自身の魂が鎮められていないということではないでしょうか。
ですから、違うお寺に供養に行くことは間違ったことではありません。勝運寺さんのおっしゃられる通りです。
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Name: 花愛
Date: 2008/11/21(金) 17:20
No:1706
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Title: お経について‥
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こんにちは。私は最近お経を読むと、気持ちが落ち着きます。 質問があるのですが、薬師経と大日経を一緒に読むのはだめでしょうか?‥ ある番組でだめだと聞いて、それから気になっています。 ケンカをするそうで如来はしないそうですが、仕えているもの同士がケンカをするのでよくないと聞きました。 やっぱりだめなのでしょうか? お返事待ってます。よろしくお願いします。m(__)m
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Name: 天台沙門
Date: 2008/11/22(土) 10:47
No:1710
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Title: ある番組って!?
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天台宗の立場からすると、なんら問題はありません。 貴方ご自身の気持ちが落ち着くのなら、他者に迷惑をかけない限り、なにをどう読んでもかまいません。 天台宗では『般若心経』は当然として、朝一番のお勤めでは主に『法華経』を読み、夕方最後のお勤めで『阿弥陀経』を読んでいます。
文献史学的には釈尊その人の教えを記録した経典は『阿含教』の一部を除き存在しないそうですが、宗教的には経典のすべてが釈尊の説(密教経典は違いますが)という理解ですから、何を読んでも「仏説」を読んでいるわけで仏教的に問題が生じる理由はありえません。
では、同じように「仏説」を読んでいる人間同士が、なぜ経典の違いを理由に「ケンカ」をするのか? この点については、まずご自身でご考察ください。
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Name: 花愛
Date: 2008/11/22(土) 11:10
No:1711
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Title: ありがとうございます。
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ある番組は『オーラの泉』です(^-^) でもケンカをするというのは、人間じゃなくて‥童子?とかだそうです。 縄張り争いみたいになるそうで。 法華経は全部の如来や、童子達などが落ち着くのでとても良いですと言ってました。 でも私も見えないので、はっきりとは分かりませんが、きっとそうだろうとは感じます。 私自身、見えませんが人の気持ちを受け入れがちで左右されやすい性格なので、観音経など読んでいると落ち着くんですね。。 読んでいただきありがとうございます(^-^)
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Name: 天台沙門
Date: 2008/11/23(日) 10:55
No:1716
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Title: 正直なところ
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テレビで放映される「仏教」に関するネタのうち、信頼がおけるものは思想哲学系・美術系・ドキュメンタリー系・歴史系の番組と考えておいてください。あと、インターネット上の情報も(この私の言説も含め)無批判に信頼するのはやめておいた方が無難です。
そもそも経典においても「童子」とは「こども」という意味をはずれません。密教において「童子」が現れますが、それは大日如来が修行者の手助けをするために姿を変えた存在です。つまり童子は大日如来そのものなので「童子」が互いに「ケンカ」することはありえません。おそらく陰陽道における「式神」と密教における「(たとえば『信貴山縁起絵巻』の)護法童子」などの混同による誤解なのでしょう。
釈尊は「自らと灯明とせよ。法を灯明とせよ」とおっしゃいました。まず自分自身を判断基準とせよ、釈尊の教えを判断基準とせよということです。釈尊の教えは「縁起と中道」の二語に集約させてよいでしょう。「縁起」とは「すべての事物は相互関係によって成立している」ということ、「中道」とは「極端は排せよ」ということです。 経典でいえば『阿含教』をはじめ『般若経』から『華厳経』『法華経』そして『大日経』『金剛頂経』など、コンセプトを異にする多様な経典が実在します。それぞれが「法」ですから、ひととおり読んでみる(読まないまでも信頼のおける解説書で教義を理解する)ことが必要です。そのうえで自分自身にしっくりくる考え方を取り入れればいいということです。 したがって「中道」という立脚点からすると『法華経』を基準とするのはまだしも、『法華経』だけが優れているという理解には首を傾げます。(ホントに法華経を読んだの? というところですね)
なお河合隼雄は、経典を音読する際のリフレインが催眠効果をもち、それが神秘体験への導入になるのではとの解釈をしています。
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Name: 花愛
Date: 2008/11/23(日) 12:26
No:1717
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Title: Re:お経について‥
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私はあまり仏教に関することあまり知らないのですが、オーラの泉の美輪さんは毎日、南無妙法蓮華経を唱えていらっしゃるみたいで。。 童子達ではなく他の如来に仕えているものと童子が争うそうです。 阿弥陀経は大丈夫かもしれません‥ その事が私にはよく分からなかったのですが、やっぱり霊視が出来たりしないとわからないのでしょうか。 天台沙門さんはオーラの泉をお嫌いですか?だったらすみませんでした(>_<)
私は毎週ではありませんが、時々見てます。番組が出来てもう3年ぐらいになりますが、ゲストの皆さん皆良い笑顔になって帰られるのでとても心地よく好きです。 でも嫌いな人もいらっしゃるし‥不快な気持ちにさせてごめんなさい(__) ネットはどうしても言葉足らずになるので、解決できないかもしれませんね。。 変な質問にも答えてくださり、感謝してます。 ありがとうございました。(^-^)
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Name: 天台沙門
Date: 2008/11/23(日) 13:42
No:1718
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Title: オーラの泉
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嫌いもなにも、観たことがないので内容等に関する価値判断はできません。
神仏と呼ばれている「何か偉大な存在=Something the Great」と人間との媒介をする存在は否定できません。一神教的には「天使」と称し、密教的には「童子」と称し、神道的には「巫子」と称し、陰陽道的には「式神」と称します。美輪明宏氏は、そういった媒介的存在を一括して「童子」とおっしゃっているのでしょう。 そういった存在は「人」よりも「神」に近いものでありますから、それらが相争うことなど信じがたい、というのが私の信仰です。それらが争うとすれば、あくまでも「童子」に守護される人間同士が争っているのであって、「童子」が争っているという表現は実際ではなく比喩なのでしょう。
美輪明宏氏その人は、好きな人ですし尊敬すべき人物とおもっております。 ですが美輪明宏氏が仏教的用語を使用なさっているからといって、それが正統的仏教解釈に基づいているかどうかは批判の余地があります。また、氏が「比喩」として使用している表現を「実際」として受け取っている可能性をも批判すべきでしょう。 少なくとも、正統的な仏教の立場では「霊魂」の実在は認めておりません。あくまでも人間の心の比喩や象徴としての使用法です。
ちなみに『南無妙法蓮華経』のお題目を唱える宗派(日蓮宗・法華宗)では『阿弥陀経』は唱えないとするのが正統です。いうまでもなく美輪明宏氏がお題目を唱えてらっしゃるからといって、氏が阿弥陀如来を否定なさっているということには直結しません。
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Name: 僧侶
Date: 2008/11/23(日) 14:52
No:1719
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Title: Re:お経について‥
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誠の法華の精神でしたら決して勝劣に拘ったりしないはずです。 偏った信仰が一番問題ではないでしょうか。 美輪氏は佼成会の信者的立場で表現されてます。
決して日蓮宗や法華宗の考えとも異なるわけです。
法華経の常不軽菩薩のような、すべてを尊べる(経典も含めて)のが仏に為るための修行ではないのでしょうか。
法華経中には「法によって人によらざれ」とも記されております。
教えを信じて実践すれば必ず成果が現れます。
他人の意見に耳を傾けつつも、惑わされてはいけません。
美輪氏は僧侶ではありません。
天台しゃもん様の、正当なご意見を大事にされた方が確かだと思います。
天台の御坊さまは仏教を総合的に顕学されておられます。
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Name: ルビ
Date: 2008/11/20(木) 09:20
No:1699
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Title: 迷っています
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主人が亡くなり、宗派がわからず、一般的と言われる浄土真宗で 葬儀・初七日を済ませました。後で、日蓮宗だとわかりました。 このような場合、どうしたらいいのでしょうか?
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Name: 天台沙門
Date: 2008/11/21(金) 07:38
No:1703
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Title: Re:迷っています
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調べた、もしくはご親戚に教えられ、ご主人様の菩提寺が日蓮宗であったことが判明したので、納骨などの今後の方針に迷っている、という内容と理解します。
まずは、その日蓮宗の菩提寺さんにご相談ください。
実際問題としては (1)日蓮宗の菩提寺に納骨するのか? 否か? (2)真宗式の戒名があるのか? 俗名のままだったのか? (3)本質的な問題ではないですが、菩提寺さんは近場なのか? 遠方なのか? の条件によって選択肢が変わります。
多くの寺で、その寺の住職がつけた「戒名/法名」を持つ方以外の納骨を拒む場合があります。もっとも葬儀をやり直して改名するのが実際ですが。戒名がなく俗名のままでの葬儀でしたら、通夜葬儀はさておいき、日蓮宗式の法名をつけて満中陰の納骨法要を行うことで問題はないかとおもいます。
また、菩提寺さん以外へのご納骨をお考えでしたら、極論は菩提寺さんの意向を伺う必要はないともいえますが「こういった事情で他所に墓所を設けることになりました」とはお伝えください。なぜなら、菩提寺さんとのおつきあいを続けるご親戚に迷惑がかかる可能性があるからです。とくにご主人様が長男で墓を継ぐべき立場にあったりしますと、まず親戚内でのもめごとがおきます。
菩提寺さんが遠方であれば、その菩提寺の近所に住まわれているご親戚を頼られるのも一考かと感じますが、ともあれ事情によりけりです。
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Name: ルビ
Date: 2008/11/21(金) 14:26
No:1705
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Title: Re:迷っています
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ご回答ありがとうございます。
生前からの主人の希望で、菩提寺に納骨はしません。 真宗式の法名を頂き、葬儀を済ませました。 三男なので、後を継ぐ必要はありません。
このまま浄土真宗で供養を続けても問題はないでしょうか?
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Name: 天台沙門
Date: 2008/11/22(土) 10:30
No:1709
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Title: Re:迷っています
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とくに問題はないと考えます。
僧侶の立場からすると (1)僧侶個人を信頼してくれている (2)その宗旨を信仰してくれている という理由で「○○宗で供養を」となると嬉しいのですが、それはさておき。
大事なことは、生き遺った人間の「癒し」が果たされるということです。逆にいえば、癒し(仏教用語では、安心)を与えてくれない僧侶・宗旨ならば、役に立たないので義理を立てる必要はないと考えます。
葬儀を司ってくださったお寺さんと今後もおつきあいをなさるかは不明ですが、ご主人さまが積極的に浄土真宗を選択なさったのであれば、このままでよろしいでしょう。
余談です。
日蓮宗系と浄土宗系とは仲が悪い=教義が相容れないことが知られており、その影響が個人に及ぼされた実例が宮沢賢治の伝記に読み取れます。 もっとも現在では、日蓮系と浄土系の伝統的教団では「互いに見解が違うだけ」との立場をとられているようです。
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Name: ルビ
Date: 2008/11/22(土) 23:37
No:1714
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Title: Re:迷っています
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天台沙門さまの助言のおかげで、迷いが吹っ切れました。 このまま浄土真宗で供養を続けて行く事に決めました。 有難うございました。
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Name: 高間
Date: 2008/11/21(金) 23:39
No:1708
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Title: お墓に
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実家の墓参りに行った時に、隣のお墓のことです。 お供え物に、ラーメンや鰹節、野菜や、生の魚が山盛、ビールも5段盛(余りにも高く、墓石が隠れていました。) おまけにお花は、雑草のようなもので墓石の2倍もの高さ(3メートル近く)の花が花立てに供えてありました。 これはよいのでしょうか?
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Name: 宥心
Date: 2008/11/22(土) 14:21
No:1713
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Title: Re:お墓に
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凄いお供え物ですね(^_^;) ちょっと嫌がらせではないのか…、長年お詣り出来ないから埋め合わせの意味もあるのか… こればかりは供えた方にしか判りませんが…(汗)
良いか悪いかで言うのなら、鰹節や生魚があれば、臭いに野良犬やら野生の動物が寄ってきて辺りを散らかしたりするでしょうし、もしそれが日中であったりすればお詣りに来た方々が大変危険でもありますよね。 ビールにしても、それだけの量がもし崩れたらどうなるでしょう。
故人を想いお供え物を沢山してあげたいのは判りますが、やはり節度というのは何処にでもあるのではないでしょうか(^^)
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Name: 鎌
Date: 2008/11/16(日) 16:36
No:1678
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Title: 依頼されて
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お寺さんが頼まれたからといい、私をお守り下さった神様にもう私に近寄らないよう言ったり、私が仏道や神道に進むようなら(依頼主に)協力しその道に進めぬよう除外するよう頼まれてると言われました。 私に二十歳ではないからと、こちらの意見は聞いては貰えません。やられ放題です。(感嘆[涙])
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Name: 勝運寺 山主 [URL]
Date: 2008/11/17(月) 06:23
No:1683
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Title: Re:依頼されて
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鎌様 もう少し詳しく書いていただけませんか。 ここに書くのがまずいのであれば拙僧に直接メールを下さい。 神仏による祟りですか?それともお寺の僧侶による嫌がらせの相談ですか。もし、僧侶による嫌がらせならば警察に相談なさい。 神仏による祟りならば神仏のあるべき場所にお戻しすれば収まります。
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Name: 天台沙門
Date: 2008/11/17(月) 10:02
No:1685
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Title: 結論と、その理由
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【結論】 貴方の年齢を理由に、貴方の意見を聞かない「お寺さん」の言うことなど聞く必要はない。
【理由】 一方的になにごとかを言い、それに対する反論・意見を聞かないという人物の言説は無視しておくに限る。一般論として、一方的言説には「意味」があるかもしれないが、それは発言者にとっての「意味」であって、普遍的に感動や共感を得られる「価値」はない。 釈尊もご自身と異なる立場の人々(六師外道)との対話を通して「仏教」の普遍性を確立なさったのであり、同時代人であるソクラテスや諸子百家の人々も、みな異なる言説との対話を通して相互に深めあい高めあってきた。つまり宗教の基底にある知性には相互批判が必要なのである。相互批判を許容しない、すなわち知性を認めない宗教は信仰ではあっても宗教たりえない。(註:排他性を内在した一神教の拡大は、それから7世紀もの後代のこと。また、信仰とはあくまでも主観的なものであり、信じる信じないを他者に強制される性質のものではない) 極論をいえば、その「お寺さん」は神仏との対話すら拒絶する志向をもっているわけで、したがって信用も信頼もおかないほうが現実的である。
以下、余談です。
【私をお守り下さった神様にもう私に近寄らないよう言ったり】
ご自身が信じているのは、貴方を守ってくださっている神様でしょうか? それとも貴方に戯言を言っている「お寺さん」でしょうか? 守護なさってくださっている神様を信じているのなら、その「お寺さん」の言うことは無視なさい。 私の論拠は、 その「お寺さん」に「私をお守り下さった神様」と意思疎通をする能力があるのか? という点です。
多くの場合、神仏に意志を伝えるのは人間からの「お願い」という形式です。 オカルト的にいえば、神仏に対し人間の霊格が低いので、人間は神仏に意志を強要できないのですね。したがって「神様にもう私に近寄らないよう」お願いすることはできても命令はできないわけです。 論理的には、その「お寺さん」の霊格が「私をお守り下さった神様」よりも高ければ、「近寄らないよう」することは可能ですが、そのような高徳の方が「二十歳ではないからと」意見を聞かないということは考えられません。 実際のところは「頼まれたから、神様に言って」みても実効性は皆無なので、貴方相手に「神様に言っている」と繰り返しているだけでしょう。ですから無視しておくに限ります。
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Name: 鎌
Date: 2008/11/18(火) 00:50
No:1688
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Title: Re:依頼されて
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虐められている最中に、過去に想像してしまった事からB神様が現れ私が泡を吹き気絶したし直ぐに虐めていた人によりお寺に連れ込まれお寺が虐めていた人に頼まれA神様を呼び私が縛られ身動きが取れないままそのA神様に元の所へと戻るよう説得され私も状況が解らないまま許可してしまいました。 A神様:私を守って下さった神様
その日の事を忘れて新ためて行った際、将来何が向いているか等聞いた所、「DやEちなみに私でもお寺さん関係に進めますかね?」とお聞きしたところ「神仏に関わる方向(学校関係)に進む様なら邪魔するように頼まれてるんだ」と怒鳴られ私が「いや、お寺なのでいちよう聞いてみたかっただけです。」「DやEに進もうと思います。」と言ったのですが……。 私「いちよう、どうなるか解らないので辞めて貰えないでしょうか?」とは言ったのですが、二十歳云々や頼まれた人達に今更〜(略)その前にお前は〜さん達(依頼主虐めた人)の事をどうにかしなさいといわれました。 「ちなみ私にできますでしょうか?」と問い返したところ「お前には無理だろう。」と言われました。 「では、この前一生虐められるのでしょうか?」とお聞きしたところ「来世に行くまで…(ちょっと忘れました)…。」
注意:虐めている人(依頼主同人)は、寺ではありません。
虐めてる人は昔から私を観察しており落とし入れようとします。離れても学校や職場の上司同僚に根回しが必ず入ります。
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Name: 天台沙門
Date: 2008/11/18(火) 09:54
No:1690
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Title: 整理します(上) 長文です。
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【虐められている最中に】【虐めてる人は昔から私を観察しており】 つまり、以前から貴方を「虐めている」人物が存在している。以下、X氏とする。
【過去に想像してしまった事からB神様が現れ】 B神は貴方の過去になんらかの関係をもった存在である。 そのB神が原因となって、貴方は「泡を吹き気絶」することになった。
【直ぐに虐めていた人によりお寺に連れ込まれ】 「直ぐに」ということは、X氏は貴方の身近に存在するということ。 そしてX氏は貴方を「お寺」で回復させることを試みたということ。
【お寺が虐めていた人に頼まれA神様を呼び】 この一節で、A神は貴方に憑移したB神を祓い遣る(撥遣・憑き落とし)ために呼び出された「使役神」であり、必ずしも貴方の守護神とは限らないことが判明。
【私が縛られ身動きが取れないまま】 一般的に、祓い遣りの際、憑移した神霊が離れるまで憑かれた者は「縛り」の状態になる。 この間に、《貴方=B神》の状態が《貴方=A神》となった。すなわちA神がB神に代わって貴方に憑き、B神はいわば追い出されたかたちで祓い遣られた。
【そのA神様に元の所へと戻るよう説得され】 これはB神が貴方から離れたため、使役されていたA神がおられるべき本座に戻られたということ。これは《貴方=B神》の状態を、《貴方=A神》にすることでB神の祓い遣りを行い、ついでA神を撥遣する(本座に還り着かせる)ことで《貴方》の状態を回復する最終プロセスである。
【私も状況が解らないまま許可してしまいました。】 祓い遣りの対象となっている人間は、周囲のことはわからなくなるので仕方ない。
実は、貴方のかかえる問題にとって重要な存在は「A神」ではないようです。「B神」と「B神」が現れるにいたった過去のことではないでしょうか? もしかしたら《貴方=B神》の状況下で重要なことが語られていたかもしれません。
(中)に続く。
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Name: 天台沙門
Date: 2008/11/18(火) 14:07
No:1691
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Title: 整理します(中) 長文です。
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=中間的結論= この「お寺さん」は、貴方と貴方の身近なX氏との人間関係に不具合があり、その不具合が原因で貴方に霊障的症状が現れている、と考えています。
【その日の事を忘れて新ためて行った際】 祓い遣りの体験を「忘れて」ということは、貴方にとって祓い遣りの経験がしばしばあったということなのだろうか? それはさておき、その寺には自発的に行ったのか、それともX氏のさしがねで行くハメになったのだろうか?
さて、以下は問題の核心である。
【「DやEちなみに私でもお寺さん関係に進めますかね?」とお聞きしたところ】 【「神仏に関わる方向(学校関係)に進む様なら邪魔するように頼まれてるんだ」と怒鳴られ】 頼んだのは貴方の身近に存在するX氏であろうし、その理由はB神に憑移されたことによることと判断できる。 正直なところ、神霊に憑移された経験のある人間(いわゆる霊感体質)は、よほどの師匠につかない限り、修行の過程において「魔に憑かれる」危険性が高い。この会話の相手の僧は祓い遣りを修した本人であろうが、そうであればこそ、貴方が神仏に浸る生活を考えることに一定のブレーキをかけるのは自然といわざるをえない。
【私「いちよう、どうなるか解らないので辞めて貰えないでしょうか?」とは言ったのですが】 貴方が「止めて欲しい」事象は「神仏に関わる方向に進むことを妨げる」ことである。 しかし僧にとっては「妨げる」ことを止めるのは、それを依頼したX氏と僧の関わりの問題である。 だから貴方に停止を頼まれても、妨げることを止めることについて僧にとっての合理性がない以上、貴方の頼みはききいれがたい。
【二十歳云々や頼まれた人達に今更〜(略)その前にお前は〜さん達(依頼主虐めた人)の事をどうにかしなさい】
この文脈では、「二十歳云々」は「いわゆる未成年の間は保護者の言うことを第一にきくべきである」という常識的意味であり、また「頼まれた人たちに今さら」のくだりも「頼まれたことは頼まれたこととして行わねばならない」という約束は守ります的意味と考えることができる。「〜さん達の事をどうにか」は、貴方ご自身の人間関係をきちんとしなさいという意味であろう。
事情の開陳、ありがとうございました。 11月17日付『結論と、その理由』における私の推定は、かなりの部分で誤りだったようです。お詫びいたします。
(下)に続く。
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Name: 天台沙門
Date: 2008/11/18(火) 14:32
No:1692
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Title: Re:整理します(下) 長文です。
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さて。 2008/11/18(火) 00:50付の書き込みを読んだことにより、私自身は貴方の相手方である「お寺さん」にある種の共感をもちました。
しかし、 【「ちなみ私にできますでしょうか?」と問い返したところ「お前には無理だろう。」と言われました。 】 【「では、この前一生虐められるのでしょうか?」とお聞きしたところ「来世に行くまで…(ちょっと忘れました)…。」】 とは言わないですね。
ところで、前段の「私にできますでしょうか?」とは、具体的に何をするのでしょうか? もし「〜さん達(依頼主虐めた人)の事をどうにか」するのであれば、お寺さん自身が「どうにかしなさい」と言っておいたことについて「無理だろう」と言うのは、無責任な発言です。 また、後段の「来世に行くまで」の発言が「今生では(いじめられなくなるのは)無理だ」というニュアンスだとすれば、それは「いじめ」の被害を訴えている者に対して配慮のなさすぎる発言です。
貴方の記述が正しければ、この「お寺さん」は貴方ご自身の心理状態に対する共感度において信頼のおけない方のようですから、その言説は無視する(聞いても聞き流す)に限ります。この結論はかわりません。 まずはご自身の精神的な安定を得ることを目的としましょう。
ただ、現実問題として「神仏に関わる方向に進みたい」のであれば、ご自身では具体的にどのようなイメージをおもちなのでしょうか?
以上
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Name: 鎌
Date: 2008/11/21(金) 00:24
No:1702
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Title: Re:依頼されて
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天台沙門様、勝運寺様ありがとうございました。 たぶん、お守り下さった神様は、勝運寺様のおっしゃる神仏のあるべき場所へ戻されたと思います。 大事な事を思い出し、勝運寺様に質問させて頂いて宜しいですか? 過去に神様にお願いした事を辞めて頂く事はできますか? また、その神様のお名前がわかりませんがお名前が解らないと御呼び立てするのは、不可能でしょうか?
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