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Name: 心の支え
Date: 2015/09/17(木) 18:04
No:28168
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Title: 心の支えになりたい
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主人の浮気が発覚したものの、証拠あるのに認めません。 そんな、話し合いのなか主人から「俺が悩んでいる時、お前は何もしてくれなかった。もう、期待しない。俺は乗り越える術を見つけたから大丈夫だ」と言われました。 それは、不倫相手の存在であると私は思えてなりません。
家庭を守る為に嘘をついて、でも、心の支えは不倫相手なんて、情けなくて悲しくてたまりません。 子育てと、家事と、仕事で寂しい思いをさせてしまったのかもしれません。 彼の心に訴えたくても、否定されて虚しいです。 私は、彼の心の支えになれないのでしょうか。
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Name: ET
Date: 2015/09/17(木) 19:45
No:28169
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Title: Re:心の支えになりたい
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前略 私は熟年離婚した60歳男です。
ご主人の心の支え。おいくつくらいなのか、それも含めて状況がうまく飲み込めませんが、 今までの積み重ねで今の状況が出現しているはずです。とことん話し合うことでしょう。
不倫というのも、肉体的なものも含めて誰かに癒しを求めるということはあることです。そのことをいくら責めてみても始まらない気もします。 それよりは、貴方とご主人との心のつながり、信頼関係を構築する。そのことを目指していくことの方が大切か。そんな気もします。 結局、何を目指しているのか。どういう状況を目指しているのか。ご主人と解り合いたい。そのことでしょうか。
バレるかどうかは別にして、浮気をしたことのある男など、山のようにいる訳です。もしかすると女性もそうなのかもしれません。精神的なつながりだけで言えば、奥さんより職場の人の方が理解してくれると思ったとしても不思議ない訳です。職場の雰囲気や仕事の辛さなど、身近な人の方が理解してくれると思うこともあるでしょう。
ですから、奥さんという立場が心の支えとして機能するためには、日々の信頼関係。心のつながりとしての会話。そういうことを増やす必要がある。手紙をやり取りするとか。話し合う時間を増やすとか。そこには努力が必要でしょう。 キーワードは「心。真心」かと思います。相手を責めることではなくて、許しあうこと。許容することかと言う気もします。
うまく言えませんが、頑張ってください。
草々
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Name: 見性
Date: 2015/09/17(木) 20:07
No:28172
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Title: Re:心の支えになりたい
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心の支えというのは何かをすることではなくて、話を聞いてあげればいいんじゃないですか? そしてご主人の気持ちを自分の中で体験します。 ご主人の気持ちがわかれば、それだけで心の支えになっていると思います。
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Name: 心の支え
Date: 2015/09/18(金) 00:07
No:28174
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Title: Re:心の支えになりたい
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お返事頂きました方々、ありがとうございます。 私と主人は結婚17年目で、子供は3人。主人は子煩悩で、昨年までは私とも、こんなラブラブでいいのかしら?なんて冗談をいいあったりした仲です。 それが、主人の趣味仲間の独身女性とそんな関係になり、次第に、仕事だと言って帰りが遅くなったり、架空の出張が増えました。 ちょうど、仕事や人間関係で悩んでる様子は私にもわかり、話も何度かきいてました。 彼女はキャリアーウーマンらしく、先月県外へ転勤になり離れたのですが、盆休みに主人が会いに行ったようです。 これからもずっと、心の支えとして彼女と繋がることを、黙認して私は過ごすのでしょうか。あまりにも、辛い状態です。
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Name: 心の支え
Date: 2015/09/20(日) 02:17
No:28184
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Title: Re:心の支えになりたい
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許す について、考えました。 浅はかな、幼稚な考えだと思いますが御意見頂ければ幸いです。 許すことができるというのは、自分が「許せた」という自己満足と「許したから、幸せになれる」というかすかな希望の為のように思えます。
許すというのは、自分の中の不平不満を無くすこと、浮気相手との関係を認めることのように思えてなりません。
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Name: 見性
Date: 2015/09/20(日) 10:13
No:28185
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Title: Re:心の支えになりたい
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ちゃんと読みましたか? そこに書いてある通り、男性と女性の性心理はまったく違います。 私の場合、そのことを奥さんによく言ってあるので、奥さんは「私の知らないところでやってください」と言ってますよ。
ある奥さんはご主人の旅行カバンにコンドーム入れていたそうです。 トラブル(病気とか隠し子)を家庭に持ち込まないでください。・・・という意味だそうです。 もっと偉い奥さんもいて、ご主人が外国のおめかけさんと隠し子を日本に連れてきたら、初めは怒っていましたが、そのうち二人を東京観光に連れて行ったそうです。
決して好ましい話ではありませんが、奥さんの器が大きければそうなるという例えです。
男性の不倫や浮気は立小便のようなもので、それだけに昔は「素人女には手を出すな!」と戒められて風俗で用を足していたものです。 最近は恋愛を装うのが流行っているようで、女性は騙されているのですね。
それは性心理の違いがわからないからで、相手の男性も自分(女性)と同じことを考えていて、奥さんと別れるとでも思っているのでしょう。 奥さんは大事な人なので、立小便で別れることはないと思いますよ。
それと同じで、性心理の違いがわからない奥さんが、旦那の立小便に苦しんでいるわけです。 女性は平均的に器が小さいので、相手の気持ちがわからずに苦しんでしまうのですね。
> 許すというのは、自分の中の不平不満を無くすこと、浮気相手との関係を認めることのように思えてなりません。
許すという行為はなくて、許しという心の状態です。 その心の状態が人の器の大きさです。 苦しみが器を大きくしてくれますので、精一杯苦しんでください。
理屈ではありませんので、苦しみを満喫すれば許しが起きます。 許しは自分がすることではなくて、自分に与えられるものです。 それはすべてに対する許しであって、許すという個々の行為ではありません。
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Name: 見性
Date: 2015/09/24(木) 09:58
No:28193
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Title: Re:心の支えになりたい
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相手の気持ちを自分の中で感じるのは、自分へのこだわりが強いと難しくなります。 自分自分という気持ちを捨てて、自分を犠牲にする習慣を身に付けてゆかれたらよいと思います。 そういうことをご主人で練習されては如何でしょうか?
相手の気持ちがわかってくれば、心の支えは自然ににじみ出てきます。 それがまったくなければ、浮気や不倫と関係なく、ご主人があなたを嫌になる可能性はあります。 男性は性と心に結びつきがないんですよ。 だから気にすべきは浮気の相手ではなく自分自身ですからね。
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Name: 心の支え
Date: 2015/09/24(木) 18:50
No:28194
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Title: Re:心の支えになりたい
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いつも、ありがとうございます。 相手の気持ちを考える前に、じぶんの感情で動いてしまい、いつも相手を失望させてしまいます。 自分の事ばかり考えてしまうのだと思います。 冷静に相手の気持ちを考えるのは難しく思えます
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Name: 見性
Date: 2015/09/26(土) 04:35
No:28198
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Title: Re:心の支えになりたい
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皆そうなんですよ。 それに気づいてさえいれば、冷静になった後でフォロー(補足/訂正)できます。 冷静になる時間がだんだん詰まってくれば、少しづつ感情とは別の態度が取れるようになります。 人間は急には変われませんので。
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Name: 美由紀
Date: 2015/09/25(金) 10:04
No:28196
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Title: 疲れた
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9月から介護の仕事してます。慣れないのとストレスから何回も仕事を早退、欠勤で、明日から出勤日になってるのですが、皆の視線が恐いです。私は資格もないし、介護した経験もないのでお年寄りとの会話とかも難しくて。こんなに年中休んでる私は辞めた方がいいのかと思いますが、辞めたくはない。でも体調がいつ具合悪くなるか不安です。こんなに休んでる私の事を色々言ってるかもと思うと明日から行くのが恐いです。
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Name: 見性
Date: 2015/09/26(土) 06:55
No:28200
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Title: Re:疲れた
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人の視線や人の言うことは人の勝手です。 そういうことが気になるのは自分の依存性によるもので、それがストレスの原因の一つです。 慣れないことがうまくゆかないのは当然ですが、早退したり休んだり辞めたりするのは、逃げの習慣によるもので、それもストレスの原因です。 ストレスの原因は自分の外にあるのではなく、すべて自分の内にあります。
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ ○この掲示板は投稿してもそれが掲示板に反映されるまで時間がかかります。 返信があるまで何日かかゝることがありますので、そのつもりでお待ちください。 ○メルアドを記載すると情報が拾われてスパムメールが入ることがあります。 またメール内容は第三者から見えないので無責任なものもあります。 同情してお金をだまし取られる詐欺も実際にありました。ご注意ください。
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Name: さむ
Date: 2015/09/13(日) 07:53
No:28142
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Title: 義叔母対策
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父のすぐ上の兄が入院し他界した際、父はとても親身に義叔母を病院まで送り迎えしたり、叔父が亡くなった時には、娘(私には従姉)にいろいろアドバイスし、立派なお式を執り行いました。 その父が昨年急逝し、世話になった筈の叔母は自分の仏壇や祭壇を比べる事ばかり執拗に聞いてくればかりで、何のアドバイスも無(聞かないと教えないと後から聞きました) そればかりか、父は通夜は勿論49日、新盆、一周忌、3回忌と卒塔婆もご仏前も父はキチンとしていました。体調を崩してからは、母が代わりに届けた事も。にも関わらず、父の時には、危篤になってからコーヒーショップでお見舞いを母に渡そうとしたり、49日を含め一切お供えもなく手ぶらで、ご仏前も減らしてくる始末。 最悪なのは、父が生前から自分に何かあったらと頼んでいた近所の親戚と仲たがいさせようと、悪口らしき事を言ってます。 私が誰にも相談出来ないのを良いことに、お世話になった親戚の方た脳梗塞で入院した時も、自分だけは真っ先に何度もお見舞いに行き(義理の叔母はその方とは他人です)、世話になった父への見舞いは危篤時って... そのくせ、その他人の方の家業の手伝いをしているにもかかわらず、私に電話で、「どうせ元にはもどらない、3〜4か月入院しても死んじゃう人もいるのよ〜」とか平気で言っている。 その義叔母のせいでお世話になった方の奥さんにまで睨まれる事にも... 一周忌のの連絡を親戚にすれば「裏で何かやってるって言われる」とか訳の分からない電話を奥さんの娘に掛けさせるし! 信用して愚痴を言ってしまった本家の叔母も口が軽かったみたいで、義叔母がそう仕向けたのに、今度は本家とも仲悪させようと、「本家の叔母さんが皆言ってるよ」と言いに来た。 義叔母を何とか黙らせたいし、本性を知って貰いたい。元凶は義叔母である事。特にお世話になった方の奥さんには!!!
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Name: 見性
Date: 2015/09/14(月) 01:58
No:28144
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Title: Re:義叔母対策
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ちょっと仏教講座になりますが、「諸法無我」という言葉は聞いたことがありますか? 自分はいない・・・ということです。 自分がいないということは他人もいないわけです。 理屈ではわからないと思いますが、さとりになるとわかるそうです。
じゃあ憎い相手は誰なんだ?ということになりますが、それは自分の姿が相手に映って見えています。 それが「鏡の法則」です。 だから相手の悪口は実は自分のことを言っている。・・・ということです。
「自分が変われば相手(周り)も変わる」という言葉はそこからきているのですね。 その辺が義叔母対策になると思います。
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ ○人の意見は要らなくて、自分の話を聞いたもらい方は「ツルとも」の掲示板をご利用ください。 ○この掲示板は投稿してもそれが掲示板に反映されるまで時間がかかります。 返信があるまで何日かかゝることがありますので、そのつもりでお待ちください。 ○メルアドを記載すると情報が拾われてスパムメールが入ることがあります。 またメール内容は第三者から見えないので無責任なものもあります。 同情してお金をだまし取られる詐欺も実際にありました。ご注意ください。
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Name: 大観
Date: 2015/09/14(月) 16:35
No:28148
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Title: Re:義叔母対策
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義叔母の理不尽な行動・言動は、いずれ周りの人も気づいて誰もが義叔母を無視するようになり相手にしなくなると思いますよ。 時間の問題です。
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Name: さむ
Date: 2015/09/15(火) 19:33
No:28155
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Title: Re:義叔母対策
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大観様のおっしゃる通り、いつか必ずそんな日が来る事を願います。 義叔母は父の弔事は一周忌で最後と勝手に決めている事も口にしていました。 母曰く、一周忌が終わったら我慢も終わりにして良いからと... 只今、準備の最中です。父に満足してもらえる良い法要の場にする事を第一に行動したいと思います。 ご意見下さいました方々有難う御座いました。
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Name: 見性
Date: 2015/09/15(火) 23:27
No:28157
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Title: Re:義叔母対策
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人の不幸を願って自分が幸せになることはありません。 一方的な悪口をうのみにして、一緒になっていない人の悪口を言うことが周りの人を幸せにすることもありません。 倫理にもとる仏教はないです。
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Name: ピーパー
Date: 2015/09/10(木) 16:15
No:28133
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Title: 再婚相手と息子の関係について悩んでいます。
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再婚相手もバツイチで娘さんがいますが元奥さんが引き取っています。 私は息子が2人おり、長男は私と、次男は元夫(父親)と一緒に暮らしています。長男は12歳。とっても素直で反抗期が来る気配もなくとても穏やかな性格です。私からみても年齢の割に幼いかな?と思うこともありますがいづれ成長するだろうと思いあまり気にしないようにしています。再婚相手の彼はそんな長男の幼い性格が鼻につくらしく、とても厳しい目で見ており、このままだと困るのは長男だ将来自立できる為にも母親のオマエがもう少し厳しく躾をした方が良いと私を責めます。一理あるところもあるので、気づいたところは躾と思い注意したりしますが、性格によるものなのか、 注意したことが守れても全体的には幼いままです。夜寝るとき私が隣にいてほしいようですしとにかく言動が幼いです。 夏休みに長男が父親と一緒に過ごし、帰ってくると、小学校を卒業したらお父さんと弟と一緒に暮らすと言い出しました。 実は今再婚相手の彼との間の子を妊娠しており、最初は喜んだ長男ですが、再婚相手にママを取られるという感覚や普段から彼とうまくやっていけてないこと、このまま一緒に暮らすことは父親を裏切ることになると感じるようで、そう決断したようです。 正直、長男が離れてしまうことは寂しいことですが、今のようにぎくしゃくした生活を送るのであれば、長男にものびのびと父親たちと暮らし、彼にも気を使わせることなく生まれてくる子と3人で暮らすことが穏やかにいくと私自身も思うので、長男の決断を尊重することにしました。 とはいえあと半年あり、息子はあまり気にした様子もなく彼に話かけますが、彼はそっけない態度をとり、すこしでも長男ができないことがあるとちゃんと注意をしろ!と言ってきます。あと半年しか一緒にいないんだから割り切ってもう少し優しく接してほしいのですが毎日ピリピリしています。 彼の心情としては、父親と自分を天秤にかけられ、父親を選択した。今までなんとかうまくやっていけるよう彼自身も優しく接したり一緒にでかけたりしていた時期もあるのにその苦労が報われず長男に裏切られた気持ちでいるのだと思います。それで今は素っ気ない態度を取るのだと思います。 私の心情はただただ長男に申し訳ない気持ちでいっぱい。私が女となり再婚相手と長男の信頼関係が築けぬまま、再婚、妊娠をした為に長男が苦しんでいるようです。 しかし、彼には本当の自分の気持ちが言えず、これまでも伝えたこともありましたが受け入れてもらえず、あまりしつこく言うと今度は彼と私の仲もぎくしゃくしてしまうので穏やかに納めるためにこれ以上言えないのが現実です。あまり考えすぎず毎日やり過ごすようにと思っていますが、家に帰りたくないなと私自身思うこともありますし、家にいても気が休まりません。 彼とは今後ずっと一緒に暮らしいくし、息子もたまには帰ってきたり、大きくなったらやっぱり母親である私と一緒に暮らすという選択肢を残しておきたいのです。そのためには、離れてしまうからといってやり過ごすのではなく、問題となっているところはできるだけ解決したいなと思っています。結局のところどっちつかず、どちらにもいい顔をしようとしている私の優柔不断なところが問題なのではと自分で思っています。解決といかないまでも、どうしたら彼と息子と私の3人の暮らしが平和にいくようになるでしょうか。
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Name: 見性
Date: 2015/09/11(金) 00:42
No:28135
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Title: Re:再婚相手と息子の関係について悩んでいます。
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それは自然の流れが決めてくれますので、お母さんは何も考えないことが大事なんだと思いますよ。 仏教の「南無なむ」というのがそのような意味で、自然(神)にお任せすればよいわけです。 何かをコントロールしようとすることが苦しみになりますので、自分では何もしないというのが仏教の選択です。
それからご主人に「〜して欲しい」という思いは持たないほうがよいと思います。 それもご主人をコントロールしようとしています。 人の性格はそれでバランスが取れていて、どれがよい悪いということはありません。 長男さんとご主人は縁がなかったということでしょう。
大なり小なり家庭のひずみが子供に及ぶことは、離婚や再婚の時点で決まっていたことです。 それに抵抗するのは無駄なので、大局的に人生の学びにすることが大事なことだと思います。
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ ○人の意見を聞くのではなく、自分の話を聞いてもらいたい方は「ツルとも」の掲示板をご利用ください。 ○この掲示板は投稿してもそれが掲示板に反映されるまで時間がかかります。 返信があるまで何日かかゝることがありますので、そのつもりでお待ちください。
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Name: ピーパー
Date: 2015/09/14(月) 10:43
No:28146
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Title: Re:再婚相手と息子の関係について悩んでいます。
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貴重なお言葉ありがとうございます。 「南無なむ」の心で人生の学びを解き日々感謝でやっていきたいと思います。
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Name: 見性
Date: 2015/09/15(火) 01:16
No:28151
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Title: Re:再婚相手と息子の関係について悩んでいます。
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長男さんは確実に自分の人生を歩き始めていますので、それを信じてあげたらよいと思います。 たとえ別れても子供がお母さんを忘れることはないでしょう。 それはお母さんが子供を忘れることがないのと同じです。
遅かれ早かれ親は祈ることしかできなくなります。 祈り(神への全託)・・・それも南無です。
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Name: 大観
Date: 2015/09/14(月) 16:56
No:28149
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Title: Re:再婚相手と息子の関係について悩んでいます。
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再婚相手と息子さん、あなたの3人の暮らしが平和にいくのは、無理だと思います。だから、息子さんはお父さんと暮らすことを決断したんでしょう。子供は大きくなったら、親元から巣立っていくものです。親としては寂しいものである反面、頼もしいものです。 あなたが今、息子さんに対してしてあげられることは愛情いっぱいのことをしてみてください。そうすれば、あなたから離れたときに母親のおかげに気づくと思いますよ。
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Name: ストロベリー&ビーンズ
Date: 2015/09/03(木) 20:41
No:28103
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Title: 絶望してます
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読んでいただきありがとうございます。
長い迷路のような、現実に対してどうしたらいいのか自分の心が決まらず、悩んでいます。 どなたかお知恵を貸してください。
私は3年前から夫と別居状態、毎月夫から一定の金額をいただいてますが、お互いほとんど連絡することはありません。
別居3年で、離婚して今後を明るく生きていきたいとも思うのですが、離婚問題に取り組むのが億劫で、放置しています。
仕事も、この前正社員で入社したのに、今年いっぱいで会社自体なくなることが分かり、やる気がなくなってしまいました。入社して2ヶ月、毎日子どもとの時間を削って残業して、倒れるまで仕事してたのに。尻拭いのために、使い捨てのために雇われた気がして、人の時間をなんだと思っているんだ!と社長に怒りを感じます。
自分の生き方への自分へのメッセージなのか、贈り物なのか。でもどう捉えたらいいかわからないんです。今後どうしたら自分が幸せになれるのかわからないんです。
どうせなら、仕事も、人生もやりたいように好きなことを自分が楽しいと思うことだけをやりたい!って強く思うんですけど。 仕事の辛い面を乗り越えられる、それ以上の自分が楽しめる仕事ってなんだろうと考えては、ネットで職探ししています。
自分のやりたいことをやっていればと、20歳の頃の自分に戻りたいと思います。
こんなまとまり無い文章ですけど、伝わっていたら嬉しいです。 どんなメッセージでもいいので、待ってます。
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Name: たま
Date: 2015/09/03(木) 23:11
No:28104
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Title: Re:絶望してます
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こんにちは。
ストロベリー&ビーンズさんがご自身でおっしゃっている通り、 お子さんもいらっしゃることですし、現実にしっかりと向き合っていくことが何より重要だと思います。
ああしたらよかった・・・とか、あの頃に戻りたい・・・とか、(冗談や愚痴ならまだしも)真剣に悩んでしまうと、一生悩むことになっちゃいますよ。 過去には戻れませんし、変えることもできませんから、悩むだけ時間の無駄だと思います。 むしろ目の前の事を精一杯やるために、その過去から学び、どう行動するか・・・どう選択するか・・・という事に対し悩んだほうが、建設的な悩みかと思います。
今年いっぱいで会社が無くなってしまうとの事。 ストロベリー&ビーンズさんが怒るのも無理はないと思います。 ただ、言い方を変えれば、 今年いっぱいまでは正社員として勤められる、という事でもあるかと思いますので、お給料をもらいながら就職活動できますね。
「しあわせ」ってほんとにやっかいな言葉ですよね・・・^^; 100人いれば100通りのしあわせがあるわけで・・・。
「しあわせは自分のこころが決める」
という言葉がありますが、要は考え方のような気がします。
例えば・・・
別居しているご主人は、毎月一定の金額をしっかり送金してくれるんですよね。ぜひ、ご主人に、「いつも毎月ありがとね♪」と一度感謝の電話でもしてみてください。
今年いっぱいで閉める会社の社長さん、大変でしょうに、雇ってくれたわけですよね。ぜひ感謝の気持ちをもって、今の仕事、精一杯がんばってみてください。
もちろん平行して就職活動もしてくださいね。
そして、面接してくれた人事の方、忙しい中、面接をしてくれているわけです。ぜひ感謝をこめて、満面の笑みで面接にのぞんでみてください。
その他・・・
過去に悩んだり、「しあわせになりたい」というよくわからない未来に対し思いをはせるより、ストロベリー&ビーンズさんの身の回りのご縁ある人に対して、感謝の気持ちをもってその瞬間を真剣に接したり、今現在の仕事に対しこれまた感謝の気持ちをもって真剣に取り組み、また平行して、真剣に就職活動したほうが、「しあわせ」への近道のような気がします。
ぜひ、ストロベリー&ビーンズさんの「しあわせ」を見つけてください。
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Name: 見性 (仏手改め)
Date: 2015/09/04(金) 00:14
No:28105
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Title: Re:絶望してます
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今自分が幸せでなければ、将来にも別の仕事にも幸せはありません。 20歳の頃は何も考えずに、今を楽しんでいたのではありませんか? 自分が楽しいと思うことだけをやりたいのは、何であれ自分が楽しめるかどうかの問題です。 つまり今を楽しんでいないことがあなたが不幸な原因なのですね。
不平不満だらけなのではありませんか? ご主人にも会社にもすべてに対して。 それは自分の問題で、ご主人も会社も関係ないですよ。
私なんか毎日楽しいです。 朝起きて命あることに感謝し、夜は1日無事過ごせたことに感謝して寝ます。 生きているだけで幸せですね。
ご飯は何を食べても美味しいし、身体は動くだけで楽しいです。 具合が悪ければ病院へ行けるし、欲しいものがあればどこでも買えます。 行きたいところはどこへでも行けます。
自分が幸せを見失っているだけだと思いませんか?
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ ○人の意見を聞くのではなく、自分の話を聞いてもらいたい方は「ツルとも」の掲示板をご利用ください。 ○この掲示板は投稿してもそれが掲示板に反映されるまで時間がかかります。 返信があるまで何日かかゝることがありますので、そのつもりでお待ちください。 ○メルアドを記載すると情報が拾われてスパムメールが入ることがあります。 またメール内容は第三者から見えないので無責任なものもあります。 同情してお金をだまし取られる詐欺も実際にありました。ご注意ください。
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Name: 鈴木
Date: 2015/09/04(金) 14:09
No:28106
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Title: Re:絶望してます
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初めまして、事実上の離婚状態を放置したりお勤め先の会社が無くなってしまう事など、安易に宗教の考え方で解決を見いだす事ではありません! 単なる心の問題とは別の問題があります。
事実上の離婚状態の問題は裁判所の調停や会社の問題は地方労働委員会や労働局での斡旋の方法がありますが、どちらも裁判所の調停員なり労働委員会や労働局の斡旋員は人権意識に希薄で深い掘り下げは期待出来ません、
なのでそれらを利用するにしてもそれに対する理解と心構えが必要です。
私は個人的に労働組合活動をしておりよければ連絡下さい、
moshi99@softbank.ne.jp 09081371920
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Name: ET
Date: 2015/09/11(金) 20:52
No:28137
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Title: Re:絶望してます
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前略 たまたま、このサイトを見つけて、お便りしています。
おいくつくらいなのでしょうか。35歳前後代かと勝手に想像しています。子どもさんの養育費と言う形なのでしょうか。子どもさんはお一人という雰囲気ですかね。
私は熟年離婚して現在60歳。男。この先どうやって生きていくか。絶望の日々です。2人の子供とも連絡が取れません。弁護士同士がグルだった。だまされた。そういう結果なのです。
あなたの場合はまだ、救われる。そう思います。家族としての子どもがいるのですから、生きる希望がある。心を強く持って希望を忘れず、頑張ってほしいものです。 大事なものは心です。自分の心を強く持つこと。これは自分に言い聞かせているのですけどね。
もし、よろしければ、メールアドレスにメールでもしてください。
とりいそぎ
草々
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Name: カラハナ
Date: 2015/09/09(水) 23:55
No:28130
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Title: 初めて味わう無気力
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初めての投稿になります。 私は現在26歳です。20歳までに親の離婚、母親の死、妹の自殺未遂、レイプを経験してきました。他に頼ることができず、自分が中心となりがんばってきましたが、いろいろなことから逃げたくて資格を取り、仕事をして、奨学金の返済を終え、やっと自分のやりたいことができると思い海外で旅を続けてきました。 その頃は人生で一番に楽しかったです。 しかし、日本に帰り再就職しましたが日本のマニュアル化した働き方にうんざりし、人間関係や何をするにもマニュアル、規則の世の中で働いていくことに希望ややる気を見いだせずうつ状態になりました。 会社も2ヶ月で退職。もともとあった夢にも意欲が湧きません。働く気力も好きなことやろうとする体力もないのですが何か目標を持ちたいとおもっています。 現実から抜け出したいのです。 今まで何かしら目標をもって生きてきました。 目標のなく生きてる自分は死ねばいいとまで思っています。けど、死んだら家族やいろんな人に迷惑をかけると考え、なによりも死ぬ勇気もないのです。 こんなこと友人にも相談できず、何かお力を頂けたらと思っています。ダメ文失礼しました。
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Name: 見性
Date: 2015/09/10(木) 21:32
No:28134
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Title: Re:初めて味わう無気力
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いろんなことがあったと思いますが、それをバネにしてこれまでやってこられたのでしょうね。 そこで人間が学ばなければならないことは受け容れるということです。 受け容れずに否定したままだと全部ストレスになってしまいます。 その否定がとても強いように感じました。
例えば、マニュアルや規則がそんなに気になりますか? それはごく基本的な手順で、日常の仕事では気にすることもない些細なものです。 しかしそれを否定してしまえば息苦しいものになります。 ものごとの受け止め方は否定するかどうかで決まるのですね。
もう一つ、人生の目標は自分の外側ではなくて自分の内側に設けた方がよいです。 人から認めてもらおうとか人より贅沢な生活をしようとか、そのような外側の比較に目標を置くと人生を見失ってしまいます。 私たちには皆気づいていない魂の目標があって、その目標に沿ったときは心が躍ります。 それは自分が人のためにどう役立つか?とか、魂の学びであったりすることが多いです。 そういう仕事を選んで自分の内側に動機を持てば、迷いはなくなりますよ。
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ ○人の意見を聞くのではなく、自分の話を聞いてもらいたい方は「ツルとも」の掲示板をご利用ください。 ○この掲示板は投稿してもそれが掲示板に反映されるまで時間がかかります。 返信があるまで何日かかゝることがありますので、そのつもりでお待ちください。
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Name: 日真
Date: 2015/09/11(金) 17:28
No:28136
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Title: Re:初めて味わう無気力
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カラハラさん、大変なご経験をされましたね。 見性さんのお言葉、大事にして下さい。 私たちは人が喜んでもらえる存在になる為に生まれてきたとも云われております。どう役立つか?人の為に生きる。人の為がいつの間にかご自分の幸せにつながり、生きがいになります。 是非、そのようなお気持ちになられたらと願います。
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Name: みく
Date: 2015/09/09(水) 00:41
No:28122
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Title: 離婚したいのですが…
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旦那と喧嘩して2日目。 だんまりの旦那と今日やっと色々話せました。 夫婦にとっての大切な問題を、いつも内緒にして勝手に自分で決めて進める彼。信頼がどんどん下がっています。 そしていつも黙り込むので、話し合いが出来ません。 今回はなんとか話せて良かったのですが、何故か鬱っぽくなっていて、「妻を傷つけた自分が許せない、いつも同じ事を繰り返してる自分が許せない」と言っていました。そして、こんな自分は死んだ方がいいなどと言っています。 どうしてこんなに考え方が極端なのか、ちょっとびっくりしています。 私に合わせる顔がないから、実家に一時戻るとまで行ってきました。私と会うのが今は辛いそうです。色々話して、結局今はお互い違う部屋で寝ているのですが。 前にも大喧嘩した時は、こんなに妻を傷つけた自分が許せないと彼は刃物を自分へ向けました。 腕を切断しようとしました。 結局出来なくて床を思い切り刺していましたが、本当に怖くて怖くてたまりませんでした。 なので、今回は家にある包丁やハサミなど、刃物類はタオルでグルグルにして棚の奥へしまい込んで話し合いをしました。 今回はなんとか刃物を取るような行為はなく、そこは安心しましたが、大切な話をするたびに、彼は毎回自分が許せない、死にたいと言います。 今回も引っ越しや役職の件など、夫婦にとって大事なことを黙っていました。勝手に1人で動いていて、私はギリギリまで知りませんでした。 とてもショックでした。 彼が鬱ぎみなのは心配だし、死にたいなんて絶対にやめて欲しいけれど、 正直彼が怖いです。 毎回喧嘩するたびにこうなるんじゃあ、私の身が持ちません。 いつも身勝手な彼の行動に私は振り回されていて、ずっと離婚を視野に入れてきました。 そして今日のこの話し合いで、絶対離婚をしようと決意しました。 もう彼を支えていけるようなメンタルを私は持ち合わせていないし、好きという感情はないです。 旦那には悪いけど、支えきれません。 でも、彼の気持ちを考えると、もし私が離婚したいなどと言ったら自殺するかもしれません。 今後、どうしたらうまく彼と離れていけるでしょうか。向こうに嫌われるしかないでしょうか。 私は無慈悲な妻でしょうか。
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Name: 見性
Date: 2015/09/09(水) 22:07
No:28129
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Title: Re:離婚したいのですが…
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第三者が夫婦の関係を一方的に伺っても、状況がなかなかわかりません。 双方から聞けが多少はわかりますが、それでも掲示板のコミュニケーションには限界があって責任あるお答えができないんですね。 ネットのおかげで便利な社会になりましたが、そういうことはお二人をよく知る身近な方に相談されたほうがよいと思います。
ですからここでは感想程度の意見になりますが・・・ 夫婦は長い年月苦楽を共にすることによって、お互いに大切な関係になっていきますから、刹那の状況で夫婦関係を判断すべきではないですね。 その時その時の気分でくっついた別れたというのは無節操と言いまして、夫婦関係を築けませんからね。 苦楽の共有は夫婦関係を育てる肥やしとでも言うんでしょうか。
またお互いに足りない部分を補い合うことが、夫婦としての強さになります。 相手の欠点にばかり目がいっているときは、相手のよいところを探してみてください。 悪いところが10あれば、良いところも必ず10あります。 往々にして良いところは、別れてからから見えてきますのでね。
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ ○人の意見を聞くのではなく、自分の話を聞いてもらいたい方は「ツルとも」の掲示板をご利用ください。 ○この掲示板は投稿してもそれが掲示板に反映されるまで時間がかかります。 返信があるまで何日かかゝることがありますので、そのつもりでお待ちください。
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Name: たま
Date: 2015/09/10(木) 11:21
No:28131
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Title: Re:離婚したいのですが…
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>今後、どうしたらうまく彼と離れていけるでしょうか。 >向こうに嫌われるしかないでしょうか。
夫とどうしたらうまくやっていけるか…といったご相談ではなく、 どうしたらうまく夫と別れられるか…というご相談であれば、 ご存知の通り、財産分与・慰謝料・親権等からんできますので、 しかるべき機関・弁護士の方にご相談されたほうがいいんではないでしょうか?
きっと有利に別れる方法を教えてくれるのでは? 経験者から聞いた事がありますが、かなり大変(面倒)との事です。
>私は無慈悲な妻でしょうか。
ご相談の文面だけだとわかりません。
もしかしたらご主人がみくさんと別れたくて、 嫌われるように振舞っている可能性もあるかもしれませんよね。
何はともあれ、一度は永遠の愛を誓い合い一緒になった夫婦間の事。 みくさん、そしてご主人共々、おしあわせになれるよう願っております。
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Name: ゆき
Date: 2015/09/08(火) 00:04
No:28119
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Title: 死にたい
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死にたいのですが自殺した後は成仏は出来ないのですか?自殺しても成仏出来る方法はないんですか?それだけが知りたいです。死んだ後も苦しいなんて嫌です。
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Name: 見性
Date: 2015/09/08(火) 20:44
No:28121
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Title: Re:死にたい
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自殺すると大抵は亡霊になって、苦しみのあまり何度でも自殺を繰り返します。 人によっては何百年もですね。 その場所は光のない暗闇で、そこからは逃げられないそうです。 長い年月亡霊に留まりますが、その後成仏できないわけではありません。
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ ○人の意見を聞くのではなく、自分の話を聞いてもらいたい方は「ツルとも」の掲示板をご利用ください。 ○この掲示板は投稿してもそれが掲示板に反映されるまで時間がかかります。 返信があるまで何日かかゝることがありますので、そのつもりでお待ちください。 ○メルアドを記載すると情報が拾われてスパムメールが入ることがあります。 またメール内容は第三者から見えないので無責任なものもあります。 同情してお金をだまし取られる詐欺も実際にありました。ご注意ください。
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Name: たま
Date: 2015/09/09(水) 15:13
No:28125
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Title: Re:死にたい
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こんにちは。
>死にたいのですが自殺した後は成仏は出来ないのですか?
とのことですが、わかりません。 ゆきさんはどう思いますか?
>自殺しても成仏出来る方法はないんですか?
これについてもわかりません。 逆に自殺しなければ成仏出来るんでしょうか?
>死んだ後も苦しいなんて嫌です。
これもわかりません。 死んだ後も苦しかったら、私も嫌です。 でも私は自分が死んだら苦しむ地獄に行くとは思ってません。 なぜなら、私は「死んだらお浄土に行くもんだ」と思っているからです。 要は信仰があります。
「死んだ後”も”」と書かれているように、きっとゆきさんは現在つらくて苦しい状況にあるんでしょう。
回答が「わからない」づくしでお役にたてなくて申し訳ございません。
「つらくて苦しい状況」を乗り越えるヒントなら出せたかもしれないんですけどね。
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Name: 吉森
Date: 2015/09/09(水) 17:12
No:28128
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Title: Re:死にたい
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とても苦しく、辛く、やり場の無い想いなんでしょうね。 苦しい時、ついついその事を言葉にしてみても、周りから還ってくる言葉もありきたりで、何一つとしてこころに響かない事は無いですか?
こんなことを言うのは、私がそうだったからです。 今もそうです。けれども私が最期の選択をしないのは、ある言葉を聴いたからです。
【山より大きい獅子は出ない】
と言う言葉です。これは、ある日、電車に乗っている時に同じ車両にいた数名のオバチャン達の一人が仲間の人の悩み事を聴いて放った一言です。私は、妙に気になったので、意を決して意味を尋ねました。それは、
【この世の出来事は、この世で解決する】
と言う意味だそうです。それを聴いてなんか、諸々抱えていたものに、向き合えて、そして、どこか、のんびりした気持ちに成りました。
ゆきさん!
【山より大きい獅子は出ない】
ですよ。詳細は知りませんが、今抱えている形容詞類と決別してみましょう。
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Name: あん
Date: 2015/07/27(月) 14:40
No:27960
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Title: 信じる価値で、寿命をまっとうしたい
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私には、どうしても一般社会と折り合いのつかない考えがあります。仏教に基づいた八正道などの心持でありたいのですが、私の性分も含めて、ご縁に難しく継続できません。これまで数々の精神疾患を患いながら、自分を信じて精進してまいりました。気付けば就職難で体調もすぐれません。必要最低限の生活を工面するための借金生活にも陥っております。生活保護という手段を考慮するほかない時期かもしれないのですが、家族へ心配をかけることが許せず、この20年以上の間、偽りながら意地を通し続けてきました。こんな私が、これだと思えるような生きるための知恵を授けていただけないでしょうか?
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Name: あん
Date: 2015/07/28(火) 11:31
No:27966
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Title: Re:信じる価値で、寿命をまっとうしたい
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仏教から一切皆苦という言葉を習いました。 真の意味は、執着を失くしたときにも残る尊い善の喜びや愛しい想いさえ、目的を諦めろという意味でしょうか? つまり命を天に預けてしまえということになるかと、思えております。 それにより、尊い喜びに生きることが出来る。 それもあると感じられています。 であるとすれば命を天に預け切る覚悟は、どのように感得していけばよいのでしょう? やはり完全に全て捨て切ってしまわないと、ならないのでしょうか? 高僧と呼ばれる人達が山籠もりをした理由が、何となくわかるような気がしています。 とても私には、できそうに思えないことです。
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Name: あん
Date: 2015/07/28(火) 10:44
No:27965
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Title: Re:信じる価値で、寿命をまっとうしたい
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大変に、ありがとうございました。 私なり基づけば、あらゆる執着を失くして、今を生きることに尽きるのではないかと考えます。 しかし現実には過去を無視することはできませんし、収入がなければ生活はできません。人々が共に喜び合うことが目的にあるとすれば、まずは小さな共同体と共になければなりませんし。不可抗力のような縁に学ぼうとも、自ら不運を招くような行為はとりにくくあり、結果的にも上手くありません。あらゆる執着を失くすとは大変に難しいことだと痛感しております。 真理を求めるのであれば、自分の命を完全に天に預けきってしまうような心がけも必要になるのではないかと思うのです。 上辺だけでなく出家のような覚悟を感得した生き方が、必要となる気がしてしまいます。 それは大変に難儀なことではないでしょうか? むずかしいです。。
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Name: あん
Date: 2015/07/29(水) 10:25
No:27968
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Title: Re:信じる価値で、寿命をまっとうしたい
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ご意見を賜りまして、ありがとうございます。 煩悩に生きない生き方となりますと、やはり、あらゆる執着から離脱する必要性は感じとらずにいられないものです。 また、そのように至ってきたとの認識にもあります。 何でも理屈で考えてはならないとのお言葉を頂いたにも拘らず、私には、それが悟りのようにおもえています。それが難しいです。 この辺り、ご指導いただければと思うところですが、簡単に上手く表現することが難しいです。 私にとって煩悩を断ち切ることは、ある種の身勝手さも感じられるものでありまして、一方でそれも必要なことだと教えられているのだと感じさせられます。 やはり貫いた意思を天に示す最善の方法があれば、それが自分にとって最も満足の得られることなのかもしれません。
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Name: あん
Date: 2015/07/29(水) 10:41
No:27969
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Title: Re:信じる価値で、寿命をまっとうしたい
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正直、申して私が伺いたいことには答えがないかもしれません。 決死の覚悟となる山籠もり、滝に打たれながら意志を貫こうかといったところ。 このようなことを申し上げれば、はた迷惑な悪行だと苦笑されるでしょうか。 しかし私は、意思は命より尊く重いものだと感じています。
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Name: あん
Date: 2015/07/29(水) 12:13
No:27971
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Title: Re:信じる価値で、寿命をまっとうしたい
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真理といってしまえば、すべてが真理ということになるかと思えております。 克服すべき課題はあるが克服できないのだから、”瞑想”と”いまここ”と”あるがまま”で終焉するべきである。ということなのでしょう。 とすれば、それは仏の境地ではないのでしょうか。 生きるとは煩悩により、真に生きる方法を見出すことにあるかと考えおります。 煩悩は最終的に人々が笑顔で過ごすための手段であり、そのために成すべきことをするという目標を掲げることが真の目的にはあるだろうと思えています。 そして真の目的という目標を捉えれば、不要なものが多すぎるわけですよね。 生きるとは煩悩から脱することではなく、煩悩とともにあり、やがて煩悩を生きて克服することにあるのではないのでしょうか。 そのように思っておりますが、何をどのように捉え直せば宜しいでしょう。
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Name: 青野
Date: 2015/07/29(水) 12:48
No:27972
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Title: Re:信じる価値で、寿命をまっとうしたい
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こんにちは。仮に、貴方が自身が信じる「価値」を手放すことができないのであれば、どこで誰に何を聞こうが、学ぶことは少ないかと思いますよ。
「邪見」あるいは「正見」ということについて、学習されたことはありますか。考え方、見方が仮に「邪見」であれば、どれだけ言葉を尽くそうが、それは邪見でしかありません。
また、克服すべきものが克服できないという発想と、八正道は相容れないのではないでしょうか。自身に都合よく教えを歪めることを止めて、純粋に学びなおしたらよいのではないかと感じます。言うまでもなく、本来の仏教の目的は解脱です。ご参考までに。
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Name: あん
Date: 2015/07/29(水) 17:17
No:27973
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Title: Re:信じる価値で、寿命をまっとうしたい
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ご多忙の中、ご意見を賜りましたこと感謝しております。 自業自得ですね。 きっと私の信念など皆様には邪見なのでしょう。 ありがとうございました。
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Name: たま
Date: 2015/07/29(水) 18:03
No:27974
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Title: Re:信じる価値で、寿命をまっとうしたい
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浄土真宗の僧侶の立場から。 八正道の中でも大切と思われる「正見(しょうけん)」について。
「正見」とは、ものごとを「正しく」「見る」こと、です。
では、「正しく」というのは、どういう事か?
何が正しくて、何が正しくないのか?
そもそもこの判断をしているのは煩悩まみれの私自身です。
「正見」とは、私自身が仏法を学ぶことで、賢くなって、 物事の真理が見えるようになることでは決してなく、 自分がなんと自惚れ、傲慢の強い、汚い執着心で固まった愚かな私であったか、という自分の発見、自分への目覚めだと思います。
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Name: 青野
Date: 2015/07/29(水) 18:34
No:27975
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Title: Re:信じる価値で、寿命をまっとうしたい
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あんさんの信念が何かを分かっておりませんので、それが邪見とは申しておりませんが、煩悩についての理解は、歪みが感じられます。
「邪見」は邪見でしかありませんが、そこにしがみつく(執着)することで問題が大きくなります。文章を拝見する限り、まだ法(ダンマ)について学習の意欲があり、執着までに至っていないと感じられたため、改めての学習を勧めさせていただいた次第です。菩提心がおありであれば、尚更、きちんと学ばれた方が良い結果が得られるであろうと思います。
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Name: あん
Date: 2015/08/02(日) 17:10
No:27980
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Title: Re:
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沢山のご意見を賜ることが出来まして、ありがたく思っております。 『幸せになるには自分(エゴ)を空っぽにして、神(自然)の価値である真理(天道)に生きる』 できれば私も、そのようにありたいと考えております。 しかしながら現状で生きることが素晴らしいと思うには、執着があるからこそだともいえるのだと思っております。 なぜなら執着(エゴ)から完全に離脱したということであれば、人としての生存は難しいことにあるからです。 どのあたりまで執着(エゴ)から離脱する必要があるのかということは千差万別な人生でありますので、一概に決定できない状態が永遠に続いているようなことではないでしょうか。 私は我欲が強いように思われているようですが、それは恐らくございません。 生きる手段が途絶えるほど我欲を抑え込むことには、努めてきたつもりでいます。 自省する意識も劣ってるつもりなど毛頭ありません。(社会規範として、今の己に対して、何れの場合もです) 私は真の世界平和実現が約束される手段があるというなら、喜んで命を差し出して構わなかった立場です。 少なくとも、そのくらいの人生経験は積んでいるとの自覚にあります。 ただ今は生きるためには、悪人として生きる自覚をもつことも大切なことだと改め直そうとしております。
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Name: あん
Date: 2015/08/03(月) 11:27
No:27984
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Title: Re:
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自分に都合のよい意見とは、最終的な見解では誰にとっても都合の良い意見となるものではないのでしょうか? 誰にとっても都合の良い意見を目指したいのは確かです。 全ての問題が自分だけにありとすることが、虐めや自殺も含めた最も合理的な解決法だと仰ってるかに聞こえますが、それとは違う意味にあるのでしょうか。
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Name: あん
Date: 2015/08/05(水) 10:50
No:27989
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Title: Re:
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仏手様、仰ってることが少しづつわかってきてるかもしれません。 私は、喜びや慈悲心にある論理と絶対的信頼による自力での克服に頼り過ぎてきた気がしています。 「真理に対する絶対的な信頼のもとで判断しなければならない。」 そういうことなのでしょうかと。 たぶん私には、この観点が中々に理解できないのです。 「あるがまま」や「いまここ」であれば、自ずと楽を選択する傾向にありました。 それで苦しみを必要以上に経験しなければならなかったようです。 忙しいところ何度も申し訳ありません。 「真理に対する絶対的な信頼」 理解するには、どうすれば最善だと思われますでしょうか?
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Name: あん
Date: 2015/08/05(水) 17:37
No:27991
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Title: Re:
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私は優劣のために生まれてきたわけではありません。 そこに向き合うため一生懸命に悩んでも、それ自体は何も悪くないと思って生きています。 本当は衣食住には事足りるはずの恵まれた環境で、衣食住に苦慮しながら生かされることとなりました。 だからこそ必死にはなれるのだろうと思っています。 しかし一方で人類は暮らしやすくなったのか、今の生き方を継承すれば未来は過ごしやすくなるのか? 私は、それでよいのか? 答があっても手段が見つからないまま考えてしまいます。 いったい、それの何が、いけないというのでしょうか?
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Name: あん
Date: 2015/08/06(木) 09:44
No:27997
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Title: Re:
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考えるなというのは都合の良い生き方からくるものにおもえます。 考えないから不幸を招き、不幸があるから考えることになる。 考えることによって、幸せを描くことができる。 不幸により幸福を知る。 これらは事実に違いありません。 手を取り合うことができなくて、動物的な思考から抜け切れない。 故に真理に完璧な信頼を寄せる以外の方法が現実的でなく、そうするほかないという理由ではないのでしょうか。 考えないことからくる人災の不幸は、つまり無関心だといえます。 決して奨励する出来事にはなりえません。 きっと皆様には言葉にできない、なにかがあるというのでしょうけど・・。 その想いに対して私は、感謝致します。
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Name: あん
Date: 2015/08/07(金) 10:05
No:28001
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Title: Re:
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私の場合では喝を入れて、正しく苦しみに向き合わなければならない運びにあるようです。 そのためには感覚的ではない“あるがまま = 他力本願”にある仏教の教えも深く学ぶことが必要なのだと思っております。 丁寧な対応と、ご縁に感謝しております。 ありがとうございました。
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Name: あん
Date: 2015/08/17(月) 11:01
No:28039
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Title: Re:
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慈悲心をも離脱していくしか手立てがなくなれば、大往生しかないわけですよね? 家財道具やら何やら、すべて擲って、身一つだけです。 そして誰も居ないような静かな場所で、座禅を組むとか最もリラックスできる姿に身を置く。 ひとり真理に向き合って、命の灯が消えていくのを感じながら俯瞰するようにして逝く。 そのように静かに死んでいくのことが、大往生ということではないでしょうか? できません、ふつうは。 だったら大往生のマインドは、どう処理すればよいと仏教では説かれるのでしょう。 瞑想とあるがままといまここ、というのは小乗と呼ばれるらしいですが、それまでの過程のことを説かれてる話ではないのでしょうか? 誰もが大往生に向かわなければならないことは、世の罪です。 皆、苦しんで大変です。 孤独な死にある大往生のマインドをつくらせることの現実は、根絶していかなければなりません。 そのための智恵を授からせてください。 お願いします。
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Name: あん
Date: 2015/08/17(月) 13:23
No:28040
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Title: Re:
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人の自他同一意識が発令されなければ、どうにもならないような愚弄ともなっていくわけですけど、人生を理解するには何れ自他同一意識は必ず知ることになっているのですよね。 体験を通じて理解することが難しく憐れで、理解後にも表現できず壊れる人もいるわけです。 それで様々な宗教や仏教や思想が自他同一意識による慈悲の顕れとして懸命にそのことについても説かれているわけですね。 その慈悲さえ断ち切ってしまう大往生というのは最終的な決断で、やむを得ずに取る措置のようなものではないのでしょうか。 納得するまで自らの身を焦がし自滅するくらいまで遣り遂げたからこそ、漸く決断できる大往生なのだと思うのです。 飽きれて、どうにもならず決断する無我の大往生。 間違えてないでしょうか? 本来は大往生などするなさせるなということも、仏教では説かれているはずです。 私は、身を焦がして遣り遂げるまで至れていません。 いま、こんなことをしていますが、私が大往生できない理由は、それだけだと思っております。
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Name: あん
Date: 2015/08/17(月) 22:04
No:28042
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Title: Re:
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ポジティブシンキングとかは、すべて過程でしかありませんよね。 ポジティブシンキングこそ自らを地獄に陥れる罠となることが、わかります。 なぜなら現実とは、ポジティフではないから道理になると言えるのです。 現実に真のポジティブを出現できないのであれば、常に真面目で精一杯で誠実で研ぎ澄まされた意識でなければ正しくはならないのです。 まあ、そんなことは難しいです。 ネガティブにあり野性的な厳しさに生きることは、真の幸せとは呼べません。 幾つか道があっても、幸せの視点では、どの道も塞がってるのではありませんか。 真のポジティブ出現がベストであることに変わりない事実ですが、誰も、そうは考えないのでしょうか。
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Name: あん
Date: 2015/08/18(火) 09:04
No:28043
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Title: Re:
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苦難を理解する一つには、有名な業という考え方や教えがあるのは存じています。 多々、納得できる部分もあるのですが、正しい真偽の理解に人智が及ぶことはないように思えることです。 ただ考えられますのは、業という表面的な理解に留まれば、本質的な理解が失われていく矛盾ではないでしょうか。 本質的な理解の伴わない抑圧主体の人生となれば、真の幸せに至れるはずなく、魂の抜けた人生のようになってしまうではないかと感じます。 一方で悪い業をつくりださない環境にあって、本質的な理解を得ることが必要なことに違いないだろうと思うのです。 もし業の顕れだから、それで全部OKという観点にあると、無関心という状態をつくりだし、自他とも新たな業を生じさせることとなりますので、それは間違っていることではないでしょうか。 仏教では、業という考え方や教えについて、どのように説かれてることが正法とされるのか、伺えれば光栄です。
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Name: あん
Date: 2015/08/18(火) 10:56
No:28044
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Title: Re:
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真に悟り、愛もなく善悪もなく生きる人がいるなら、何を基準に生きているのか。 生きても死んでも構わないで生きているなら、それが偽りない事実だというのなら。 愛や善のために生きたい私にください。
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Name: あん
Date: 2015/08/19(水) 10:18
No:28046
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Title: Re:
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考えないことで目前の現象がどうにもならなくなり、考えないことで目前の現象をどうにかする。 どれだけ誤魔化せるかへの挑戦です。 それも輪廻の技の中の話ではないのでしょうか。
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Name: あん
Date: 2015/08/19(水) 10:25
No:28047
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Title: Re:
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感謝の有無が問われそうですが、最終的には輪廻のわざですよね。
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Name: 青野
Date: 2015/08/19(水) 18:26
No:28048
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Title: Re:
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この「かけこみ相談室」は、あくまで相談する場所であって、自説を戦わせる場所ではないので、返答をもし期待しているのであれば厳しいかと思います。 何年も前は、このサイトには「掲示板」という、相談ではないことを書き込む板があったのですが、無くなった模様です。一意見ではありますが、教えてgooなど、他のサイトの宗教のスレで書き込んだほうが実りあるのではと思います。
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Name: あん
Date: 2015/08/20(木) 11:34
No:28053
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Title: Re:
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昨今の拝金主義にある弱肉強食の論理でありますと、人の尊厳を奪っていく問題にあることを考えさせられます。 具体的な事例や内容につきましては御承知と考えた上、割愛させていただきますが、現状の秩序制度が正当化されるしかないのであれば、自死の問題等における尊厳死について認知する必要を思うところです。 現行では自死問題につきましては自己責任として扱われ、他者の介入も処罰対象となりましたが、根本要因を解消しない限り払拭しきれない現状にあることは事実です。 であるとすれば、当人含め遺族関係、経過による心的困難の克服による弊害を抑制する意味も含めまして、安楽死の観点を検討する必要があると考えています。 ご賛同していただけることがあるなら、どのように法案を通過させて合法化させることが現実的に可能かなど含めて、ご相談させていただきた存じております。 併せて、よろしくお願い致します。
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Name: あん
Date: 2015/08/20(木) 10:09
No:28052
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Title: Re:
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ご迷惑をお掛けしているようで申し訳ありませんが、私は相談しているつもりなのです。 私の意見に対して誤ってるなら、誤ってることを、ご指摘いただけないかと思っております。 永遠に苦の呪縛にあい、苦を受動するだけであれば耐え難いものなのです。 それで正しい生き方ができてません。 苦との対峙姿勢ができて、苦を克服する歩みがあってこそ正しく生かせて頂けるのだと考えています。 皆様のアドバイスは自責による苦に向き合えという話にあるようです。 私は自責による苦など、初歩的で身勝手で迷惑な話だとしか思っておりません。 この辺りの観点が異なるのかもしれません。 ですから不足する何かがあるなら理解を賜り、問題ないとの姿勢なら、この現状を如何にして打破するかを賜りたいと相談させていただいているのです。 よろしくお願いいたします。
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Name: 青野
Date: 2015/08/20(木) 18:54
No:28055
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Title: Re:
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「不足」は、何か完全なるものがあって、そこと比較しての概念です。従って、「完全なるもの」が何なのかによって、不足が決まります。あんさんの「完全なるもの」が、どこかの宗教にあるのであれば、その宗教の教えに沿って不足を考えるべきです。「思想」というものは無数に存在しますので、まずは依って立つものを探されたら宜しいかと思います。 この掲示板は、特定の宗教(宗派)に依るものではなく、スピリチュアル含め雑多な回答が寄せられますので、よけい迷われることもあろうかと思いますし、必ずしも善意で回答が為されるとも限らず、誤った方向へ行くことも有り得ます。この掲示板で思索することはお薦めしません。
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Name: あん
Date: 2015/08/21(金) 10:19
No:28060
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Title: Re:
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仮に安楽死を合法といたしますと導入後初期統計グラフでは、自死による死因が右肩上り予測となる可能性は非常に高く見積もれるものかもしれません。 しかし年間何万人もの尊い命が犠牲となってきた現行制度の続投体制よりは、遥かにメリットが大きいと判断できると思うのです。 導入の際には当然に問診等により一定の基準が設けられ、第三者立会いのもと秘密厳守の上で執行となるべきと考えています。 基準に満たない志願者に対しては、立て直しを計ることで道義的視点からの整合性も取れるかと思っています。 また所得額は基準審査対象項目必須となるでしょうから、万が一、現行制度改定がなされない場合でも、継続目的としても適う有用な制度になるはずなのです。 年金国保等の問題は一掃され、合理的な法案になるのではないでしょうか。 ただ目論見一番の目的は、私たち自身の反省や精神的な成長を促し、平和と歓喜の未来を構築していくことには違いありません。 問題の根絶に動けないのであれば、なぜ早く導入されないのか私は疑問の思いでおります。
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Name: あん
Date: 2015/08/22(土) 12:19
No:28061
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Title: Re:
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悟らせる環境であれば、悪が強まるほど都合がいいということはあるのだと思います。 しかし悪が強まったなかで悟れる人など、どれくらい見積もれるものでしょうか。 最近は善悪がないという意見が蔓延しておりますが、本質を悟りきった思考の次の理解から、そうした回答をする人というのは、いったい幾人居られるというのでしょうか? これも、すべて世の成り立つ仕組みの手のうち。 そうなのかもしれないというより、恐らくその通りなのだと思います。 すべては真理であるという事実に対する問題は、考えないことにある過ちだと思っております。 なぜ悟ったと自称するような人たちが、思考は誤りであると言われ続けるのでしょうか? 悟りへ導く手法としてなのですか? ご理解いただいた上での正式な回答を窺いたく思っております。
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Name: あん
Date: 2015/08/22(土) 12:30
No:28062
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Title: Re:
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優しさは煩悩であり、厳しさである。 厳しい修行に答はないといわれてるそうですね。 これは実は厳しい修行に答があるから、厳しい修行に答がないとされたわけなのではありませんか。 自分で探り当てるために、そうならないと悟りには理屈の通らないことがあるように思っております。 答えを、お伺いしたいです。
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Name: たま
Date: 2015/08/22(土) 13:49
No:28063
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Title: Re:
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失礼ながら、あんさんが、何に悩んでいるのかが、わかりかねるのですが、「仏教」とは、「仏の教え」。「 「仏の教え」とは…
まず、この世は、 ・愛する者と別離する苦しみ ・怨み憎んでいる者に会う苦しみ ・求める物が得られない苦しみ ・五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならない苦しみ に代表される苦しみ・苦悩に満ちていると説きます。
そしてその苦しみを乗り越え(抜け出して)「穏やかなこころ」になることを目指します。
その「苦しみ」を乗り越える(抜け出す)方法については、 「正しい理解を得ること」だと説きます。
つまり、 最初に苦しみにあえぐ「現状」をありのままに「理解」し、 自分が苦しんでいる「原因」についてはっきりと「理解」し、 この苦しみを鎮めるための正しい「方法」を「理解」して、 「穏やかな心」を手に入れます。
あんさん、まずは、 「自分が何に悩んでいるのか?どう苦しいのか?」 という事を徹底的に理解した上で、 ※紙に書いてもいいかもしれませんね。 次に、 「自分が苦しんでいるその「原因」について理解されたほうがいいような気が致します。
ご参考までに。
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Name: あん
Date: 2015/08/23(日) 17:05
No:28066
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Title: Re:
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たま様、ありがとうございます。 仰られます「穏やかなこころ」になること、つまり解脱や悟りのようなことと存じます。 ですが、あらゆる煩悩(関係)を断ち切り「穏やかなこころ」へ至る涅槃的思想では、現実に生きていくことが難しいことです。 これが自分の悩み苦しむ「原因」です。 生きるには断ち切ることのできない他者との関係にあること(・愛する者と別離する苦しみ)も、関連する要因となります。 光を感じるために目を瞑り、命を感じるために呼吸をする。 風を感じるのには、自転車もいりません。 動じない死の感覚ならば、安穏で私一人だけが生きていくなら、それでも良いことです。 「穏やかなこころ」へ到達でき、生かされることの感謝だけで済んでいたかもしれません。 しかし今を生きる状況は、関係を持ち、断ち切ることのできない煩悩とともに現実に生きる状態です。 私は、煩悩を断ち切り、これを苦に変えて、それに向かって生きていきたいと考えています。 では他者との関係にある煩悩がどこにあるか?それを具体的に説明させて頂くならば、可也の長文となりまして、例えば前述した安楽死考察へ至る問題などに起因して参ります。 無欲な安穏にある幸福感を表現するには、不敵で不適な環境にあると思うわけです。 そうした問題改善の取り組みに対して、私が動きを取れたとき、きっと心に従ったことによる「穏やかなこころ」近くへ到達できるとは考えております。
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Name: あん
Date: 2015/08/23(日) 17:38
No:28067
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Title: Re:
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完成されてない組織の中では、不二だからこそ真の貢献ができる可能性が高くなるはずです。 現実世界を完成したものとして、完成されない組織が不二を殺せば、その勢力は真理によって滅ぼされると私は信じております。 もしくは完成したとされる現実世界の中で永遠に生きるに相応しい勢力になるということなのでしょう。 どなたかの表現を拝借しますと私は「基本的人権の尊重」 という思想によって「滅私奉公」の概念は創造されるべきであり、現状そのようにはありませんということになります。
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Name: たま
Date: 2015/08/23(日) 23:03
No:28071
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Title: Re:
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私は浄土真宗僧侶ですのでその立場から回答します。
>仰られます「穏やかなこころ」になること、つまり解脱や悟りのようなことと存じます。
おっしゃるとおりです。ただあえて「解脱やさとり」と書かず「穏やかなこころ」と書きました。
>ですが、あらゆる煩悩(関係)を断ち切り「穏やかなこころ」へ至る涅槃的思想では、現実に生きていくことが難しいことです。 これが自分の悩み苦しむ「原因」です。
おっしゃるとおり、あらゆる煩悩を(仮に)断ち切れたとしたら、現実に生きていくことは難しいと思います。 あえて「解脱やさとり」と書かなかったことにも関係しているのですが、はたしてあらゆる煩悩を断ちきる必要があるんでしょうか?
ググってみたところ・・・^^;こんな言葉が出てきました。
迷いがあるからさとりというのであって、 迷いがなくなればさとりもなくなる。 迷いを離れてさとりはなく、さとりを離れて迷いはない。
だから、さとりのあるのはなお障げとなる。 闇があるから照らすということがあり、 闇がなくなれば照らすということもなくなる。
照らすことと照らされるものと、 ともになくなってしまうのである。 まことに、道を修めるものは、さとってさとりにとどまらない。 さとりのあるのはなお迷いだからである。
この境地に至れば、 すべては、迷いのままにさとりであり、闇のままに光である。
すべての煩悩がそのままさとりであるところまで、 さとりきらなければならない。
『楞伽経より』
迷いも煩悩も否定してもなくなることはないと思います。 否定するのではなくて、まずは、迷いや煩悩を「肯定」して、 よくその原因を考えたり見極めたりすることで、 迷いや煩悩をありのままに捉えることができれば、 まさしく「煩悩即菩提」ではないでしょうか?
※「煩悩即菩提」のwikiへのリンク https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%85%A9%E6%82%A9%E5%8D%B3%E8%8F%A9%E6%8F%90
また煩悩は我執(がしゅう)から生ずると説かれます。 我執とは、自己中心の考え、それにもとづく事物への執着という意味です。
「煩悩を無くすこと」「解脱やさとり」に執着してしまうと、永遠に近い悩み・苦しみをかかえる事になってしまうと思いますよ。
仏教は「苦しみを乗り越えるために」「執着するな」という教えですから。
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Name: あん
Date: 2015/08/24(月) 12:05
No:28077
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Title: Re:
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たま様、ご多忙のところ、ありがとうございました。 なんとなく理解できるような理解できないような感じの話です。 私は「解脱やさとり」に執着してるわけではありませんでして、経験で導かれた先を追求した結果、仏教に正しさを見出せるといった程度です。詳しい教義や「解脱やさとり」の概念さえ、明確ではないことは前提でございます。 さて、その仏教の解釈についてですが、一概ではないようですので、必ずこれが正しいと限定することも又難しい話かと思っております。 それを追求することこそが私には「解脱やさとり」に執着することに値する気概のように感じられます。
>闇があるから照らすということがあり、 >闇がなくなれば照らすということもなくなる。
つまり煩悩がそのままさとりであれば、このようにある私そのものも煩悩であり、たまたま闇という役割を担っているということではないかといった解釈ができるわけです。ですから私は、このままでよいという解釈もできるわけですが、ここでいわれる闇を苦、照を楽と置き換えますと闇という役割を担わせられる立場は楽ではありません。”煩悩をありのままに捉えることができれば、まさしく「煩悩即菩提」”であるとしますと、また一つの解釈では”中道”といわれる教えが説かれたことにも納得できます。では”中道”で生きれるかとなりますと、それも現実に難しくあります。きりがなくなっていきますけども、私の考えとしましては、つまりこうなのです。闇から光は目立ちますが、光からの闇はわかりづらい。闇から見る私だからわかりますと。生きれる環境がない現実を問題としているところに、闇の存在としての、ご理解を頂こうとする。なぜ、それが否定されなければならないか?という煩悩です。 なにが間違えているのでしょうか? お時間許されましたら、ご指導のほど、よろしくお願い致します。
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Name: あん
Date: 2015/08/24(月) 13:31
No:28078
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Title: Re:
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誰もが闇も光も理解することになるというのは、私の経験により信じることです。その理解の先に「解脱やさとり」があるのでしょうけども、理解の最中に命が失われますと「解脱やさとり」へは至れません。その最中に命が失われることには、この上ない苦しみが伴ってしまいます。私は、そのような経過を他者や後世に継承したくはありません。これが私の慈悲心からくる煩悩であり、善の姿勢にあります。自暴自棄に陥ることなければ疑うことのあり得ない”あるべき姿”と思っております。「解脱やさとり」へ至る道に至りやすい環境があって、実現すれば最低限の必要苦だけで「解脱やさとり」へ到達できると考えているのです。そのためには、まず何が何でも人が生きれる環境を構築しなければならないと考えています。苦しみに向き合う姿勢と、その意義について、人類がきちんと理解していれば、このようなことはなかったはずだと思っております。理解して頂けないのなら愛も善もなくなり、「解脱やさとり」のような状態で終息することも可能かもしれません。生も死もなくなる。それでも生きるなら心を潰して自暴自棄に陥るような無様となってしまいます。そんな状態にあり、どうすればよいか、よくわからない。そういう状態にあるのが闇からみえる現実なのだとお伝えしたいです。
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Name: あん
Date: 2015/08/25(火) 11:02
No:28081
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Title: Re:
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「苦しみを乗り越えるために」「執着するな」 そこで解脱と反作用にある物質至上主義における精神的苦悩を、どのように処理したらいいか?という原始基本的な問題を抱えています。 幾ら解脱のためといっても生きる人に死ねとなれば悪魔的発想ではないでしょうか。 悪魔的発想の要因は取り除かないとならず、愛や善の存在意義と理由は、そのためにあるはずなのです。 必要以上に生かさず完全には殺さない。 これが、もっとも楽に解脱を目指せる方法に間違いないだろうし、愛や善の力が強まる多幸な生き方になること確信していることです。 過去最強の物質至上主義には、人間が生存する上での根本的な間違いにあります。 解脱と愛や善の知識からは、行き過ぎた物質至上主義を肯定できる理由は見当たらない矛盾に生じているようです。 私は、他に手段のない現代では、安楽死を実現させることが現実味帯びた合理的解決方法になると考えていますので、向けた知恵を授かれましたら幸甚な思いです。 それとも違うところに現実味ある解決方法は、本当にあるのでしょうか?
※今月は多分ですが、書き込みいたしません。ありがとうございました。幾度も読み返してみたいと思っています。
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Name: あん
Date: 2015/09/03(木) 10:33
No:28100
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Title: Re:
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根本的な過ちがあるので、美しく生きることなどできやしないのではないですか。 八正道という尊い教義が幾ら正しくとも、苦しくて無理にあることだとしか思えません。 個人ではどうにもならないことだから、考えるほど葛藤に苦しむのでしょう。 それは私が間違ってるでないし、仏教が間違えてるわけでもなくて。 間違えているのは人類です。 全体の潤わない人類は、結局、死ぬしかなくて解脱しかなくなってしまう。 それだから考えずに感覚的に生きることだけが、仏教の生きるための教えになるということなのでしょうか。 生きるための最終的な仏教教義なのですか。 真理とは精神のことだし、各々の精神による自業自得なはずだと思います。 物質的な現象は、すべて他業自得による幻影のようなもの。 現代の日本人は似非の自業自得論に翻弄されて生かされます。 けど慈善も犯罪も慈悲だって自他業自得と思うのです。 違うのでしたら、是非とも、ご教示くださいませ。 よろしく、お願い致します。
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Name: 青野
Date: 2015/09/03(木) 12:39
No:28101
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Title: Re:
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こんにちは。一番始めに投稿されている、生活上の問題は解決されましたでしょうか。
あんさんが何故ここまで、あれこれ考えねばならないのか、考えてしまうのかを考えたとき、生活上の苦しみが影響しているのではないかと感じます。
衣食住が足りていない、例えば明日の食事はどうしよう、借金はどうしよう等というような状況では、仏教の実践はちょっと難しいと言われます。頭から悩みが離れないためですね。まずは衣食住や目先の気掛かりな問題を解決するのが先です。
「妄想するな」と仏教では言われます。真理は考えるものではなく、観るものです。あんさんがここに書き込んでいるような思索は、仏教の実践においては無駄な時間を費やしているようなもので、逆に邪見すら生んでしまう可能性があります。
もし生活に不安があるのであれば、先にその解決を図られることをお勧めいたします。
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Name: あん
Date: 2015/09/05(土) 15:38
No:28110
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Title: Re:
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私が相談させて頂いて自業自得の酷な回答しか得られず、悲観して嘆くことになっても一長一短です。 世の悲観論に納得したとき、やりきったことで解脱に向かえるかなと思えることになるからです。 何れにしても、世界が浄土化していくか個人が解脱に向かうしかないのでしょう。 そうですよね? 互いに理解し合えない結果が、解脱では世界にとってのハッピーエンドはありません。 それは解脱に伴う悲しみや苦しみを一人一人が個別で理解していくのだという認識に向かうのだと思うのですが。 ここが、どうしても、ご理解いただけないことなのでしょうけど、自らの経験を他に置き換えれば、この世界の継続は冷酷で悲観せざるえない状況なのです。 悲観視する根拠としては、犯罪や自殺の多発化や凶悪化を掲げられます。 悲観視する未来を、どのように考えるとよいのか、よろしければご指導いただけないでしょうか? やはり自業自得となり、この文章の繰り返しになるほかないのでしょうか? その場合は、解脱できる諦めの境地まで、やりきるしかない。 仏教では、そうなのでしょうか? お聞きしたいです。 連続投稿で申し訳ありません。 結果に関わらず、御縁に期待をして感謝します。
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Name: 青野
Date: 2015/09/05(土) 20:41
No:28111
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Title: Re:
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こんにちは。文章が非常に意味が通りにくいです。句読点の位置、主語述語の関係を意識して書いていただきませんと、意図している内容がよく伝わりません。少なくとも私にはよく理解できませんでした。
「未来」「悲観視」という単語の多さから、未来を悲観されているということだけはなんとなく分かりましたので(違っているかもしれませんが)、それに関して仏教の観点から申し上げます。
常なるものはない。これが真理です。悲観も楽観も主観の問題です。 悲観視する主体が、未来を、現象を、自分の思考によって「悲観」しているに過ぎません。 悲観視しようが楽観視しようが、現象は移り変わります。現象自体に良い悪いはありません。年老いる、病になる、動くことが辛くなるetc、すべて事象でしかありません。受け止める側の心が、良い悪いといったイロをつけているのです。苦しみはイロをつけることから生じます。
犯罪や自殺の多発? 数十年前まで日本も戦争していたんですよね? こんなに平和な時代に生まれ平和ボケしているかもしれませんが、世界をみれば争いに巻き込まれて死んでいる人だって沢山いるんですよ。 何が争いを起こすのか。それくらい分かりますよね、こころです。頭であれやこれやと考え、欲にまみれ、自身を正当化し他を責める。そんなこころが争いを起こすのですよ。
他者はかえられません。自己ですら思うようにできないのに、なぜ他者をかえられるのでしょう。況や社会をや、です。社会といったものを論じていること自体、はっきり申し上げて無駄です。
他を頼ろうという思いから、怒りや悲しみが生じるのです。頼れるものなどないのですよ。自身の身体すら、こうしている間にも朽ちる方向へと変化し続けているのです。現象を淡々と受け止める、そこに平安があります。真理への智慧が生じた上で、現象に対して怒りや欲もなくなる状態が、仏教でいう聖人の域です。
解脱に伴う悲しみや苦しみなどと書かれていますが、そんなものは存在しません。 解脱云々と論じる以前の部分で理解が足りていませんので、ずっと以前に書きましたが、ネットにつながる環境であれば、仏教について教えが説かれているサイトもあろうかと思いますので、学びなおしたほうが宜しいかと思います。生活の苦があり頭を離れないならば、その解消が学習より先です。
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Name: あん
Date: 2015/09/05(土) 11:50
No:28108
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Title: Re:
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青野様、ありがとうございます。 衣食住や目先の気掛かりな問題を解決することが先とのことは、ごもっともです。 いまの私は、それに励んでも解消できないことを嫌というほど経験した結果として在ります。 色々と多面的に時には恥も外聞もない試行錯誤をしながら、何とか生きながらえて、相談に上がらせていただいているのです。 お陰様の経験と思考により育まれまして、仏教で説かれる教えには私なりには殆ど整合性の取れる解釈に至れてるつもりです。 ゆえに仏教や多くの哲学的な解釈に正しさを痛感しているのです。 私には物理的な観点で治まりきらない経緯を前提として、ご意見を賜れましたら、大変にありがたいこととなります。 生意気と思われるかもしれませんが、構いません。 よろしくお願いいたします。
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Name: あん
Date: 2015/09/05(土) 12:27
No:28109
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Title: Re:
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それと、いつも書き漏れていますが、常時感性は基づく観念にあるものですので、感覚なしということは全くありえません。 感覚→経験→思考 基本的には、こうした繰り返しによ人生は学ぶのだと思っております。 感覚と経験と思考は常に伴うものでありますし、どれが欠如してもならないこととして考えております。 そして最終的には解脱しか残らないとされるのですよね。 しかし解脱してて生きるなんてことが、可能なことでしょうか? それは難しいとしても八正道で生きることの難しい環境は、改められるべきであること違いないと考えております。
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Name: あん
Date: 2015/09/06(日) 17:33
No:28113
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Title: Re:
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青野様、ありがとうございました。 読み辛い文章しか書けずに、申し訳ありません。
「苦しみはイロをつけることから生じます。」とのことですが、生きること自体が色をつけるとされてるのではないでしょうか。 それで仏教では、一切皆苦が説かれるものだと考えてきました。 さらに良い悪いといったイロもつけないのであれば、善行とは何かという疑問も湧いてまいります。 また、こうした真意を理解せずとも、解脱に向かえるという話でしたら、学び直さなければなりません。 おすすめのサイトがございましたら、ご案内いただけますか?
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Name: 青野
Date: 2015/09/06(日) 19:13
No:28114
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Title: Re:
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あくまで初期仏教の学習(理論)と瞑想による経験を元に、書かれている内容について述べさせていただきます。
「感覚と経験と思考が常に伴う」とのことですが、感覚は、その感覚が生じて認識されれば「経験」したことになろうかと思いますが、認識できていない感覚もありますね(たとえば、人は複数の痛みが身体に生じているとき、最も大きなものしか認識できません)。 「経験と思考が常に伴う」ということですが、今、目に触れているもの、聞こえているもの、身体の感覚、そういった五感の全てについて、瞬間瞬間で思考は生じていますか? 生じていないでしょう。思考する時点で、取捨選択が必ず生じますが、その取捨選択は心がしています。感覚も同様、心で感じています。ですから心が主なのです。思考(あれやこれやと考えること)が重要なのではなく、心の操縦をすることが重要なのです。
解脱して生きていられるか。ご参考までに申し上げれば、解脱(阿羅漢)に達した聖者は、給与の支給を待つ役人のような気持ちで残りの寿命を過ごすそうです。
「生きること自体がイロをつける」というのは凡夫の有り様です。イロを付けるとは、正しく観ていないということです。分かりますか? 善行とは、文字通り「善なる行い」です。イロをつけたのではなく、正しく観た時(正見)、その行いが善果をもたらすから善行なのです。自身の見解=正しいという思考(見)がある限り、この辺は理解が難しいかもしれません。
おすすめのサイトとのことですが、初期仏教であれば「原始仏教」や「テーラワーダ」といったキーワードで検索すると情報は得られるのではと思います。最近はYouTubeで音声も聴けたりしますので、探してみてもよいかもしれません。
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Name: あん
Date: 2015/09/07(月) 11:14
No:28116
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Title: Re:
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要するに、心の操縦を平穏に置くならば、つまり解脱に至るわけですね?
>解脱して生きていられるか。ご参考までに申し上げれば、解脱(阿羅漢)に達した聖者は、給与の支給を待つ役人のような気持ちで残りの寿命を過ごすそうです。
欲をなくして現象を淡々と受け止め、心の操縦を平穏に置きます。 すると、現実的には餓死に至る話になってしまいますでしょう。 ですから、解脱しては生きていられないのだと考えております。
>「生きること自体がイロをつける」というのは凡夫の有り様です。イロを付けるとは、正しく観ていないということです。分かりますか?
仰る通りと承知いたしました。「生きること自体がイロをつける」という凡夫の有り様にあって、一切皆苦が説かれるのですよね? 凡夫として、どのように生きるかというのが課題です。 解脱を凡夫に追及するのは難しいのでしょうから、相談させていただいております。
>善行とは、文字通り「善なる行い」です。イロをつけたのではなく、正しく観た時(正見)、その行いが善果をもたらすから善行なのです。
思考を巡らさず、自ずと善果をもたらせる境地に至るということでしょうか? しかし、正見は思考ではありませんか? 感性だけで常に正しい判断ができるようになるというのは、複雑な文明社会にあっては、ほぼ不可能な話と思えます。 それで出家制度があるのですよね?
それと「原始仏教」や「テーラワーダ」は、部分的ですが拝見したことはあります。 「原始仏教」は、納得できることが多く、それ自体に違和感はありません。「解脱して生きていられるか。」にも付随しますが、現実に生きる手段としては整合性上の問題がありますし、思い悩むことはあります。「テーラワーダ」につきましては、確かFAQで拝見した記憶ですが、すべてにおいては納得できる解釈にはありませんでした。主な項目には違和感ありません。
ご縁を頂きましたので、また拝見してみます。 ありがとうございました。
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Name: あん
Date: 2015/09/07(月) 12:38
No:28117
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Title: Re:
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人間とは、愛から出でた存在として考えております。 愛別離苦こそが、最期に訪れるテーマでありますし、最も重要視するべきことだと思うのです。 私には、生きる=愛であるということです。 『愛欲にひとしい火は存在しない。』と原始経典に記載がありました。 次に『この世の中は暗黒である。』が故に『愛する人と会うな。愛しない人とも会うな。』との対処が説かれていました。 言葉には納得しますが、生きる=愛である以上は、愛に固執せず生きることはできないと考えます。 愛に固執せず生きるならば、生きる枠を外れた解脱しかないのですよね。 『修行僧が止と観の瞑想について彼岸に達したならば、彼はよく知る人であるので、彼の束縛はすべて消え失せるであろう。』 続いて、このような記載にありましたが、それは(彼岸に達し=生を断つ)ことなのでしょう。 生について仏教が説かれてることの基本は、「あらゆる命を大切にして、相手を思いやる。」これだけのことで、詳細に理詰めした内容が経典なのではないのでしょうか? 結局、そんな当たり前の話なのに、正せないから個別で解脱して死んでいくしかないということなのですよね? ならば、それを正そうと試みながら生きる姿勢こそ、仏教の説く善行ではないかと解釈しています。 この辺りの私の理解には、何か違和感ございますか?
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Name: 青野
Date: 2015/09/07(月) 19:40
No:28118
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Title: Re:
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>欲をなくして現象を淡々と受け止め、心の操縦を平穏に置きます。すると、現実的には餓死に至る
至りません。餓死に至るのであれば、ブッダは何年も法を説いていないでしょう。餓死すると断言されること自体に、非常に違和感を覚えます。
「正見」と思考についてですが、ここで申し上げている「思考」は、あんさんが行っているような「あれやこれやと概念をこねくり回している」ものについて「思考」といっております。 詳しい説明は致しかねますが、対象を見たとき、心は一瞬にして理解します。それが本当であれ、間違いであれです。正見は、正しくものが見える状態を言います。
違和感があるかとのことですが、正直申し上げ、違和感しかありません。「愛」を根本に置いていらっしゃるとのことですが、であれば、そもそも初期仏教とは相容れることはございません。キリスト教など、他の教えに依ったほうが宜しいかと存じます。
仏教が生について説いていることについて、思いやりというのは儒教ではありませんか? 生命を害するな、輪廻があるから生が生じるのであるから、輪廻を脱せよ(解脱せよ)というのが仏教です。
かくいう私も修行途中ですので、申し訳ありませんが、これ以上の説明は私には困難です。
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Name: あん
Date: 2015/09/09(水) 11:59
No:28123
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Title: Re:
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他者のため他者を変えようなどと考えるより、苦による自らを正見の上で、自分のために他者を変えようとした善行を試みる。
それが満足に至れる極意で、大切ということでもありませんか?
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Name: あん
Date: 2015/09/08(火) 14:45
No:28120
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Title: Re:
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青野様は小乗仏教というものなのですよね? 私は小乗的な考え方というのでは、修まりがつかない性分です。 小乗となれば、どうして他者との交流が必要となるのでしょうか?などと考え、原始経典に孤独の境地に励めとも書かれておられてることもあり、少々矛盾してるように思えてしまうことです。 ブッダのような生き方で、且つ小乗となりますと、嘗ての坊様のように托鉢で施しを受けながら生きる姿が最適ということになるでしょうか? いま私が真似すれば、単なる乞食にしかなりませんけども、結局、托鉢の施しを受ければ大乗へと向かう。 気を悪くされるては困りますが、そういう流れにある気がしてならないのが私の率直な気持ちです。 凡夫の私は、愛に固執するしかなくて、大乗というのも、そういうものではないのかと考えています。 いずれにしても相容れることはないとのご意見をいただき、ご縁も潮時かと感じられました。 ただ私としましては、ここにご縁を頂きましたこと、ご意見を窺えましたことに本当に感謝しております。 もし負担に感じられず気になさらないということであれば、今後とも、ご意見を窺わせてもらえますと大変にありがたいことと思っております。 ありがとうございました。
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Name: 青野
Date: 2015/09/09(水) 12:54
No:28124
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Title: Re:
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自分のために他者をかえるとは、とんでもないエゴですよ。正見以前の問題です。そもそも他者は変えられません。変えられるのは自己のみです。これは仏教の基本です。
小乗という呼び名は、大乗の人々が自分たちを正当化するために蔑んだ呼び名であって、言ってしまうと「小乗」が正統です。 本場へ行けば、例えば日本の仏教は仏教と見なされません。実際、教えもだいぶ歪められていますので、それは当然だと思います。仏教と名乗ること自体、やや無理を感じます。
あんさんがどう思うとしても、真理は真理です。「真理はこうあるべきだ」「私には無理だ」「私はその教えには共感出来ない」といった議論へのお付き合いは致しかねますので、これ以上は困難ということで前回書かせていただきました。 あんさんのお幸せをお祈り申し上げます。
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Name: あん
Date: 2015/09/09(水) 15:21
No:28126
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Title: Re:
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殺すものと殺されるもので、どちらが生き残るかといえば、殺すものです。 決まって殺す方が悪いですけど。 世界を学びの場として観ていっても、正しいものや善良なものは迫害されています。 他を殺す罪悪を思い知れば、二度と他を殺さない。 だからでしょうか。 殺す罪悪を知らないものほど、生命力も強く殺させるようにもなっているのですかね。 殺す罪を知らぬ者が居るなら、殺させるしかなくなる。 善行を知らぬ者が居れば、悪行を働かせるしかなくなる。 いつでも悪のほうが、この世では強いです。 残念ながら、やはり地球は学びの場とした節理だけの上に在るのでしょうか。 今の時代は、多くの人が、悪行や殺す罪の理解を示していると思えるので、表面的には殺させない悪を働かせない時代にはなりました。 なので悪行や殺す罪の同じ理解にあって、それをする者に対しては、私の生命力が劣るということはないかと思います。 でも私の生命力が劣るということは、生命力の勝る他者が、悪行や殺す罪の理解ができておらず、それが正しいことと信じて疑わないから。 実際、我欲が強いほど、そのとき知らないほどに楽には生きれますよね。そう思われませんか。 真理だから仕方がない?
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Name: あん
Date: 2015/09/09(水) 15:39
No:28127
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Title: Re:
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青野様「小乗」が最終的な見解なのは理解できます。生死の区分をなくしていえばですけど。 他者をかえるという表現は、あまりよくありませんでしたが、人とのご縁やかかわりによって、人が学ぶニュアンスを含めます。 わかりにくいですよね? ここで、これ以上のご迷惑をお掛けできないとの判断で、今後の投稿は控えます。 それと私の幸せをお祈りいただいて、ありがとうございました。 私は、いつか誰もが笑顔になれるよう、幸せをお祈りいたします。 青野様、仏手様、ご意見を窺うことができ、大変感謝しております。 これで失礼いたします。 ありがとうございました。
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Name: るみ
Date: 2015/09/06(日) 00:10
No:28112
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Title: 精神的虐待のトラウマから抜け出したい。
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子供のころから親から受けた精神的虐待から抜け出せず、 他にもトラウマがあり、なかなか、人生が前に進めません。
人が怖い。 不安症もあります。 特に人間関係のトラウマから抜け出すにはどうしたらいいのでしょうか?
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Name: 見性 (仏手改め)
Date: 2015/09/06(日) 20:27
No:28115
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Title: Re:精神的虐待のトラウマから抜け出したい。
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それは可能ですが、無意識の反応と逆のことを習慣にしなければなりません。 トラウマは嫌なことを避けたり我慢することによって感情に蓄積されたものです。 だから嫌なことを避けずに積極的に体験すれば蓄積しません。 過去のトラウマも、嫌なことを思い出しながら積極的にそれを再体験すればなくなります。
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ ○人の意見を聞くのではなく、自分の話を聞いてもらいたい方は「ツルとも」の掲示板をご利用ください。 ○この掲示板は投稿してもそれが掲示板に反映されるまで時間がかかります。 返信があるまで何日かかゝることがありますので、そのつもりでお待ちください。
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