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Name: まさお
Date: 2024/10/04(金) 01:05
No:33819
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Title: 精神的孤独で誰一人信頼できる人がいなくて辛い
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50歳にもなって寂しくて泣きたくなるとは恥ずかしいのですが、生きていて誰にも辛さを吐き出せない、頼れる人が一人もいないのは、本当に辛いです。 妻も子どももいますが、家族の中で孤立しているのは間違いないです。 子どもに私が話しかけても、面倒くさそうな顔をしたり、聞こえていないふりもされます。 確かに世間のパパさんと比べたら、私なんかあまり子どもと関わってこなかったのも悪いのは自覚していますが、それでも0ではなく、世間の2割くらいは関わって来ました。それに、子どものやりたいことはさせてきましたし、習い事なども習わせ、経済的支援はしてきました。妻がお金を払うので、私もお金を出しているとも思っていないのでしょう。 妻ばかり感謝されて私は何も感謝もされず、一生懸命働いて経済的支援だけして、何も親としてのありがたみも感じてもらえていない自分の人生があまりに虚しく、何のために生きているのか、これから老後を迎えてできないことも増え、子どもに負担をかけることもあるのに、今からこのような子どもで、将来も幸せを想像することもできません。 元々うつ体質で、会社に行くのも実は緊張を伴い、家庭に帰っても給料以外はいなくても困らない存在としての扱いに、生きている意味が何があるのかと思い始めてきました。 心許せる人、心の支えとなる人がいないのは辛いですね。 人間はやはり一人では生きていけないですよね。 自分を必要としてくれる人、自分の心情を理解、共感してくれる人がいないのは、ここまで孤独だとは知りませんでした。
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Name: 在家
Date: 2024/10/04(金) 07:44
No:33820
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Title: Re:精神的孤独で誰一人信頼できる人がいなくて辛い
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見えざる世界の法則は、自分が発したものが回りまわって自分に還ってくる・・・という仕組みになっています。それが因果応報。 自分が求めるのであれば、まずは自分から与えることです。
家族のために尽くし、人のために尽くし、社会のために尽くし、全ての地球生命のために尽くす。 尽くすというのは自分を犠牲にすることですよ。 それらがすべてあなたに還ってくれば、あなたは幸せになるでしょう。
自分という分離した意識が、自分のこと自分だけ自分さえという自分を中心とした心を生んで、与える心ではなく、求める心を強くします。 その欠乏した状態がストレスとなって、心の病になります。
私たちはもともと自分という分離した存在ではなくて、心は一体のものです。 それを体験することが仏教でいう悟りです。 地球には人間以外に数多の神仏がいて、人間を助けようとしています。 自分自分という分離した意識がその神仏との結びつきを妨げています。
私たちは神仏とも一体です。 寂しいことなどどこにもありません。 自分自分という分離した意識が孤独を大きくしています。 神仏の助けを借りれば、そこから抜け出せますよ。 それが本来の仏教というものです。
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Name: まさお
Date: 2024/10/04(金) 12:35
No:33823
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Title: Re:精神的孤独で誰一人信頼できる人がいなくて辛い
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回答ありがとうございます。 神仏とつながっているのですね。安心しました。毎月欠かさず、参拝はしております。
ところで、因果応報についてですが、自分は決してそのようなことはしないし、そこまで考えが及ばないようなことまで、他人から冷たい仕打ちを受けることがあります。逆に自分では気が利かなかったような思いやりを他人からかけてもらったこともあります。 これは、因果応報からするとなぜこうなるのでしょうか? そして、この中の冷たい仕打ちをしてきた相手にまで、尽くすということが果たしてできるのか、自信がないです。 尽くしたことで、逆に相手が不信に思い、攻撃を強めるかも知れませんし、尽くしても裏切られたら、余計に悲しくなります。
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Name: 期待
Date: 2024/10/04(金) 13:20
No:33824
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Title: Re:精神的孤独で誰一人信頼できる人がいなくて辛い
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なぜ、あなたはそんなに相手に期待しているのですか。尽くすのは尽くしたいから、ただそれだけで行うべきで、そこに見返りを期待するなら相手も迷惑ですよ。あなたのそんなところが分かっているから、ご家族も冷たいのではありませんか。give-and-takeではなくて、give-and-giveのところに不満は発生しません。
なぜgive-and-giveなのか? それにより自身の心が豊かになり、温かくなり、仏教でいえば善行為になって良い業までも積むことができるから、それで十分なんですよ。もらうことを期待するなら、それは交換であってgiveではないです。
因果応報というのは、今世だけのものではないです。過去世からきているものも今世で受けます。だから、あなたの理解に及ばないことも起こるわけです。
ちなみに、色んな宗教ありますが、どこも自分たちの宗教は正しいと言うものです。仏教もたくさんあります。「本来の仏教」なんてものも仏教の宗派、下手したら信者の数だけありますよ。
あと、更年期障害は女性だけではないです。男性も情緒不安定になったり鬱っぽくなったりするそうですよ。メンタル以外にも不調がもしあるなら、疑ってみた方がいいかもしれません。人間、ホルモンのバランスが崩れるだけでメンタルは崩れます。
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Name: 在家
Date: 2024/10/05(土) 05:53
No:33825
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Title: Re:精神的孤独で誰一人信頼できる人がいなくて辛い
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> 他人から冷たい仕打ちを受けることがあります。逆に自分では気が利かなかったような思いやりを他人からかけてもらったこともあります。
そういうこともあるでしょうね。 期待さんもおっしゃっていますが、「回りまわって」と申し上げたように、因果応報はもっと大きなサイクルで周るので、特定の人に与えたものがその人から還るということではありません。 因縁という見えざる法則が介在して現実化します。
だから相手に尽くすというのは見返りを求める取り引きではなくて、無条件の奉仕です。 それはなかなか難しいことなので修行が必要です。 例えばお遍路さんを迎える地元の人たちは、無償で尽くしてくれますが、何の見返りも求めていません。 能登のボランティアもそう。
以前保護司のお坊さんに逢ったことがありますが、保護司は刑期を終えた犯罪者が社会復帰する保証人になります。 それも無償で何の見返りもありません。 キリストが「汝の敵を愛せよ」といったのも尽くすことですが、見返りがないどころか自分にはマイナスになることですね。
敵に尽くし、犯罪者にも尽くし、それが尽くすということで、その見返りが目に見える形で自分に還るわけではありません。 それは徳として宇宙銀行に貯蓄されて、満期になると因縁を通して現実化します。 それが因果応報(因縁果報)です。
試しに本気で人に尽くしてみたらよいですよ。1年でも2年でも。 そうするとどんどん自分が救われてゆくのがわかるでしょう。 自分の周りに現実化するには因縁のタイミングが必要ですが、心の中はリアルタイムで変化しています。
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