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お寺ネット:仏事相談室
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[5534]Re:戒名の開眼・..
..天台沙門
天台沙門でございます。

Q:「果たして本人はそれを知っているのだろうか?」
A:ここでの「本人」は、故人のことと理解して、以下のご回答です。

それは、わかりません。
この「わからない」とは、「故人が知ることができないことを我々は知ることができない」および「故人が知ったことを我々は知ることができない」との両方の意味です。
いずれにせよ、死者のことは神仏に属することですから、この世の者には不可知です。生者ができることは神仏に死者の冥福を祈ることと死者のことを記憶し続けることです。



葬送儀礼とは生者が死者の死を受け容れる文化的なシステムです。儀礼そのものは死者のためのようにみえますが、あくまでも目的は生者のためにあります。
とくに明治以前の日本文化では、人は成長過程において名を変えるということが普通でした。たとえば「牛若丸」→「遮那王」→「九郎」→「伊予どの・判官どの」→「義経」という具合ですね。この場合の「九郎」を仮名・「義経」を実名と呼びますが、多くの場合で人を実名で呼ぶことははばかられました。ある意味、実名は死者の名であると考えてよく、そのため現代でも戒名という形式で死者が名を変えることが自然であると感じられるのです。
ある人を俗名ではなく戒名で呼ぶということは、その人の死を受け容れるということです。

以上、ご参考までに。
..2017/08/08(火) 13:34
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