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お寺ネット:仏事相談室
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[5630]Re:お経を唱える..
..天台沙門
某政令指定都市に所在する寺を預かる天台を宗とする者の立場から。
Qzero:お経を唱えるとどうなるのでしょうか?
Azero:読経をするということ以外のものごとにわずらわされずにすみます。
叡山で修業を始めたときに、
(1)経本を見ろ
(2)音読しろ
(3)自分の声を仏さんの声だとおもって聴け
と、習いました。これは心理学的には
(1)視覚の制限
(2)聴覚の制限
(3)意識対象の固定化
によって感覚遮断を導く手段と理解できます。この感覚遮断によって緊張をともなわない精神集中をもたらすことが読経の目的と考えてよいでしょう。
※
以下、個別に。
Q1:読経の主体と対象による相違
A1:
読経という行為に一定の修業価値をみいだす以上、僧侶であるか在俗であるかの差別はありません。それが大乗仏教という考え方ですから。
また、祈りの対象が「神仏」と呼び習わされる救済の主体である以上、実践面の祈りの対象が御札であろうが仏像仏画であろうが物体としての存在がなかろうが価値は変わりません。神仏そのものは不可知でありますから。
Q2:僧侶の存在意義(お坊さんの意味がないような?)
A2:
唱題行(=お題目)は自分自身のための修業である、という観点から僧侶でも俗人でも「誰があげても同じだよ」という意味です。これは称名念仏(=お念仏)や座禅止観と密教修法であっても同様です。
ただし、正しい修業を実践するためには、経験的に確立された修行方法の専門知識をもった僧侶の指導をえるべきです。
Q3:俗人の修行意義(一般の人が唱えても意味がないのでは?)
A3:
前項は「自利行」という観点で理解すべき問題でしたが、こちらは「利他行」という観点で理解すべき問題です。
つまりは「他者の修行を応援することで自分の修行に代えよう」という(施主さん側の)考え方と「これは自分だけの修行ではなく自分以外の誰かのための修行である」という(僧侶側の)考え方を表裏一体にしての「お坊さんは仏様との橋渡しだよ」という意味です。
Q4:誰が何にお経を唱えると、なぜ、どのような効果があり、どうなるのか
A4:
本来ならば「自分が自分に対してお経を唱えることは、お経に書いてある思考・思想を知ることであり、日々の修行の実践との相互作用で仏教というものを体感的に理解できるという効果があり、自分の仏道修行の役にたつ」ということになります。
現実的には、冒頭に述べたとおり(意識されることは少ないですが)感覚遮断の簡単かつ安全な修行方法という側面は重要視されています。しかし、白文の素読では文章の意味が理解できずとも日本語訳の知識と漢字の自面から(日々日々の読経によって)経典の内容の再確認を継続することは可能でしょう。
※
以下、余談です。
法然さんは「念仏の功徳はなにか?」と問われたとき「念仏している間は悪事をせずにすむことだ」と答えたそうです。また河合隼夫が「華厳経を読んでいると眠くなる」と催眠効果が意図的なものではないかとの感想を述べています。
以上、ご参考までに。
..2018/12/19(水) 12:28
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