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[49452]Re:出典・引用・..
..日月
【有難うの由来】
なぜ人間に生まれたことを喜ばねばならないのか?
お釈迦様は次のような話で教えられています。
ある時、お釈迦様が阿難(あなん)というお弟子に、
「そなたは人間に生まれたことをどのように思っているか」
と尋ねられました。
「大変喜んでおります」
と阿難が答えると、
お釈迦様は次のような話をされています。
今日、盲亀浮木の譬えといわれているお話しです。
果てしなく広がる海の底に、目の見えない亀がいる。
その盲亀が、100年に一度、海面に顔を出すのだ
広い海には一本の丸太棒が浮いている。
丸太棒の真ん中には小さな穴がある。
その丸太棒は風のまにまに
西へ東へ南へ北へと漂っているのだ。
阿難よ。
100年に一度、浮かび上がるこの亀が、
浮かび上がった拍子に、
丸太棒の穴にひょいと頭を入れることがあると思うか」
聞かれた阿難は驚いて。
「お釈迦様、そんなことはとても考えられません」
と答えると、
「絶対にないと言い切れるか」
お釈迦様が念を押されると
「何憶年かける何憶年、何兆年かける何兆年の間には、
ひょっと頭を入れることがあるかもしれませんが、
無いと言ってもよいくらい難しいことです」
と阿難が答えると、
「ところが阿難よ、私たちが人間に生まれることは、
この亀が、丸太棒の穴に首を入れることが有るよりも、
難しいことなんだ。有難いことなんだよ」
とお釈迦様は教えられています。
「有難い」とは「有ることが難しい」ということで、
めったにないことを言います。
人間に生まれることは、それほど喜ばねばならないことだと
お釈迦様は教えられているのですが、
喜んでいるどころか、
なんで生まれてきたのだろう。
人間に生まれさえしなければ、
こんなに 苦しまなくてよかったのに、
と恨んでいる人さえあります。
それは、
何のために人間に生まれてきたのか、
何のために生きているのか。
なぜ苦しくても生きねばならないのか。
「人生の目的」が分からないからです。
「人間に生まれたのは
これ一つのためであった」と
人生の目的を 達成させて頂いた時にこそ、
「人身受け難し、今已に受く」
「人間に生まれてよかった」という
生命の大歓喜が起きるのです。
出典:仏教de 後悔しない“今”を生きる
..2013/03/23(土) 21:38
..ocn.ne.jp
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