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[49454]Re:出典・引用・..
..日月
【慢(1)】


■『卑下慢(ひげまん)』という言葉があります。



仏教では、私達の自惚れ心を『慢』といいます。



いろいろの自惚れ心を7つにわけて、

七慢といわれますが、その中の1つです。



卑下しながら、自惚れる、この『卑下慢』とは

どういうことでしょうか。



■「わたしほど、悪い者はおりません。」

と頭を下げている時に起きてくる、自惚れ心です。



「私がやりました。私が悪かったんです。」

と自らの非をわびた時に、同時に出てくる心が、

「どうだ、こんなに自分の非を認めることのできる、

 謙虚な者は他にいないだろう。

 このヘンがオレの人間的に立派なところだだよな。」

と、内心一人ニンマリします。



そして、自らの非を認めようとしない人を見下げて、

「なにお前威張っているんだ。
 
 もっとオレみたいに謙虚になれよ」

と、心中、その人以上にふんぞり返っているのです。



■職場でトラブルが発生した。



「コレやったの、誰??」と追求されたような際、

(どちらかというとあいつの過失だよな・・)

(いや、自分にも非がない、というわけでもない・・・かな)



こんなシチュエーションありますが、

あなたならどうしますか。



「はい。すみません!私が失念しておりました。」



自分を棚に上げて、人の非を責める人が多い中、

こう潔く自分の非を認めるのは勇気の要ることです。



なかなかできることではないです。



■しかしこのように謝罪する時に、

同時に出てくる心を見逃せない。



(こうしてお詫びできる自分は偉いなあ)

(なかなか誰にでもできることでないぞ)

とうぬぼれる。



人に向かっては

(なんでオレみたいにお詫びしないんだ、

 どちらかというとオマエの責任大きいぞ)

と見下す。



自己の謙虚さも自惚れの道具とする、この心を

『卑下慢』とお釈迦様は説かれています。






by:仏教講師、菊谷隆太の『一からわかる仏教(ブッダの言葉)』


..2013/03/24(日) 07:14
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